見出し画像

発達障害の子供への接し方〜1つのケースとして〜

今回は、発達障害(ADHD)の当事者として、親にどんな風に育てられたかを書きます。

あくまで自分のケースです。
今の自分が完璧という訳ではありませんし誰にでも当てはまる方法ではないかもしれません。また発達障害はグラデーションなので、程度も人それぞれです。僕は定型の方からすると圧倒的にミスが多い方ですが、社会生活は色んな方のおかげでサバイブできています。
ただ1つのケースとして活用できそうなところがあればと思い、書きます。
自分は発達障害を診断されたのが29歳の時でした。
子供のうちから診断されている方とは状況が異なるかもしれませんが、1つの例としてお読み頂ければ幸いです。

前置きが長くなりましたが、色んなケースがあるので「そんなにうまくいくか」ってことも、思い出補正がかかっていることも、あると思います。
あくまで自分のケースとして、今の感覚として書かせてください。

どんな子供だったか

おっちょこちょいでケアレスミスが多い子でした。
毎朝帽子と名札を探し、宿題をよく忘れ、通知表には落ち着きがない、と書かれることもありました。
算数の計算は苦手でしたが、勉強は結構出来ました。
運動は下手でした。
学年が上がるにつれて、周りの友人の空気を読む成長スピードについていけず、空気が読めない子になりました。(この辺りは以前も書きましたが、年齢があがるごとに、会話とリアクションを「覚えることで」カバーしていきました)
軽いいじめ、というか仲間外れになったり、いじめられている子をかばってハブられることはありました。
夏休みの宿題は必ず、例外の年はなく、8月31日までやっていました。

母親の接し方

とにかく褒めて育ててくれました。
母親同士が話すときも、母の「うちの子は・・・」に続く言葉は「本当にいい子で」でした。

細かいミスも全くガミガミ言われることはなく「また健ちゃんはー」と軽くたしなめられるぐらい。かなりの温室で育ててもらいました。
怒られたことで覚えているのは嘘をついた時ぐらいで、あまり叱られることもなかったように思います。

また小学生の時は隣に祖父母が住んでいたのですが、特に祖母は優しく、一度も怒られた経験がありません。今は他界しましたが、本当に優しい祖母でした。(ばあちゃんのこと思い出すと泣きそうになる)

とにかく愛情を注いでもらって、甘い環境で育ててもらいました。

反抗期という反抗期はありませんでした。(というかちょうど家が売られた頃だったので、その時期に反抗しているそんな余裕はなかった。)
敢えて上げるのなら、見た目で人を判断するな的なことを母に対して言ってた記憶はあります。

基本的に激甘な環境で育ちました。

未だに縦社会でマッチョな世界が苦手なのは、温室育ちなためだと思います。

父親の接し方

いつも同じ目線で話をしてくれました。

子供の時から、経済の話や世界情勢の話、音楽の話をたくさんしてくれました。遊ぶ時も、子供の僕たち兄弟と同じぐらい楽しんで遊んでくれた記憶があります。

何でも自由にさせてくれて、僕のおっちょこちょいに対しては、何も言われたことはありません。
「後回しにするな」だけは結構言ってもらっていたと思います。
今思うとADHD由来のものもあるかもしれません。

激しく怒られた経験は一度だけで、まだ5歳とか6歳ぐらいの時に、弟に故意にボールを投げた時でした。その時は父に蹴られて怒られた記憶があります。その一回だけです。
下の者には絶対に手を出すな、ということを強く教えられました。それ以来一度も手を出したけんかはしたことがありません。
因みに弟が怒られたので覚えている時は、車からごみを捨てた時です。

また、偏見を持たずに分け隔てなく接することも父親から学びました。

「お前がお母さんと家族を守るとぞ」(宮崎弁)と何度も言われた記憶があります。

学校が嫌なら休んでいいと言われていましたが、休むときは自分で責任を持って学校に連絡する、というルールがなぜかありました。

責任を持って行動することを求められました。

まとめ

振り返ってみると「苦手への理解があった」というよりも、そんなこと全く気にしないで育ててもらっていたことに気付きました。

診断がついていなかったからかもしれませんが、サポートや理解ではなく、「ただ愛情を注ぐ」という育て方だったと思います。
苦手は存在していましたし、忘れ物などはそこそこネックになっていましたが「この子はおっちょこちょいねえ」ぐらいの感じでした。

本当にミスが多い子供時代(今もそんなには変わらない)でしたが、苦手と人格を関連付けずに育ちました。僕は、九九を覚えるのがクラスで一番遅かったのですが「大丈夫よ、誰でも必ず覚えるから」と心配されなかったのを覚えています。
字が下手なことと同じぐらいの立ち位置で接してもらっていた気がします。

障害の程度が人によって違うので、何とも言えませんが、自分はそのように育てられました。

今の自分が完璧という訳ではありません。実際にミスは全然多い。
でも、自分のことを嫌いにならないで、好きなままでいられています。

育て方が全てとは思いません。親に関係なく素晴らしい方はたくさんいます。実際に過酷な環境で育ったラッパーの言葉も、僕たちの内側に確実に刺さります。

それに僕はとても温かい親に育ててもらいましたが、「冷たい」と思われる判断をすることも少なからずあります。(もちろん自分の中では冷たくしているつもりはありませんが、理解してもらえないことも多い。)

育て方と自分の世界の捉え方が、そのままリンクしているとは限りません。

育て方はそんなに関係ないかもしれません。

学術的にいくと正しい育て方ではないかもしれません。

でも、自分は今も昔も(たまに辛いことはあるものの基本的には)幸せを感じることが出来ているし、自分を諦めずにこれています。

これだけ注釈を入れているのは、本当に人それぞれだからです。
また書いたことで、ネガティブなことを感じる人を作りたくないからです。
好きなように書かせてもらっています。

ただ、発達障害、もしくはその疑いのあるお子様を持つ親御さんで接し方を迷っている方がいれば、1つのケースとして参考にしてもらえる点があれば幸いだと思い書きました。

何かしらお役に立てれば幸いです!

発達障害の方向けのFPサービス活動しています。

お困りの方ご自身や、ご家族ご友人でお困りの方いらっしゃいましたら、お問合せください。
発達障害の方専門の保険相談窓口を開設しています!

また、発達障害のお子様との接し方について現場目線で話を聞きたい方は、たどうのうずメンターサービス内で、実際に発達障害のお子様の支援をしているリオさんにご相談ください。

いいなと思ったら応援しよう!

岩切 健一郎 発達障害専門FP
最後まで読んでいただきありがとうございます! サポート頂いたお金は本の購入に充てます。 分かりやすくまとめていきます!