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趣味の警察

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毎夜21時から一時間、大崎康夫は一日も休まず、自家用車を用いて町内の自主パトロールを行う。

基本的には毎夜一時間と決めているが、大崎の気分がそわそわとするとき――大崎曰く、嫌な予感がする夜――は、2時間、3時間と町を巡ることもある。


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大崎康夫の本来の顔は、町の小さなパン屋の店主である。 

他の地域の例に漏れず急激な過疎化が進む木通(あけび)町という小さな町の、それでも駅に近い比較的賑やかな立地に店を構え、やはり盆正月以外は一日も休まず店を開けている。 

職業柄、パトロールで夜遅くなったときには時間の配分に困ることがある。タネを仕込みはじめるにはまだ早いし、かといって仮眠を取るような時間もない、ということが何度かあった。 

結局、パトロールが遅くなったときには駅の駐車場に車を止め、町に異変はないかと鼻を利かせたり、ときに商店街を徒歩でうろついては不審な人間がいないかを確認するなどしたりしては時間を潰し、パンの仕込みや、惣菜の下拵えを始めるのに適切な時間まで待って一日を始めることになる。 

おかげで営業中に欠伸をかいてしまい、客に笑われることがある。 

「防犯に精を出すのもあんたらしいが、本業に触るようでは無理できんぞ」と猪狩という男が言う。この男は町長で、毎朝のようにあんドーナツを買って行く。

「駅やら商店街やらをそんなにうろつかれちゃ、やっちゃんが警察のご厄介になる日も近いんじゃないかい」と同級生の真鍋が言う。こちらは元郵便局長で、今は早期退職をして隠居の身だが、やはり現役の頃と変わらず毎朝7時半から8時の間には店に来る。

地縁で結びついた知己と軽口を叩きあって過ぎる日々はそれなりに居心地が良いものだが、この件に関しては茶化してほしいとも皮肉を叩いてほしいとも思っていないため、客の前で寝不足な様子を見せることも、パトロールの愚痴をこぼすことも、大崎はできるだけ控えていた。

もちろん、気を詰めないようにしてくれていることも、心配をしてくれていることも大崎には分かるが、咄嗟にそう聞こえないのだから仕方がない。

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パン屋を営んで39年経つ今では、来る客はみんな顔なじみと言って良い。駅の近くだからと言って毎日よそから人が通って来るわけでもなく、店の前を通るのは通勤通学のいつもの顔だった。 

どいつもこいつも若い頃から身体がだらしなくなるこの歳まで毎日毎日同じような日々を繰り返していることを大崎は知っている。

毎年4月になると知らない子が店の前を通るようだが、中学から高校に上がった近所の子が電車通学を始めるだけで、よく見れば誰々さんの娘さんだとか、どこどこの坊主だとかが分かる。

子どもたちの時の進む速さにくらべ、自分たちの十年一日のごとく代わり映えのしない毎日はなんだと嘆きたくもなるが、よく考えてみるまでもなく、子どもたちの背が伸びるだけの時間を自分も過ごしていて、それだけ老いているということを大崎は自覚している。

ある人は気力が衰え、ある人は腹が出る、ある人は同じ話を繰り返すようになり、ある人はずるくなる。

人々が交差する場所にいるからこそ、自分以外の変化はよく見える。よく見えるからこそ、悪い方に変わっちゃだめだ、時間が経つままに任せていてはダメだと自分を戒める。

とは言え、長い時間をかけて角が取れ、丸くなるものもあって、それが自分の手の中にすっぽりと納まるのが心地よいことも大崎は知っている。

かつては少々手狭に感じていた大崎の小さな店だったが、今ではすべての道具がこれ以上あってもこれ以上なくてもいけないというほど収まり良く過不足なく揃っている気がするし、急がず、怠けず、淡々と作ったパンは丁度よく売れ、いつも手元には2、3の商品が残る。 

それらを夕食前に平らげるのが日課となっており、妻からはメタボがどうの糖尿がどうのと嫌味を言われることもあるが、大崎はいつも、それならお前も手伝えと応酬するのもいつものことであった。 

妻は大崎が作ったパンを食べたり、食べなかったりするが、もう美味いとも不味いとも言わない。

共に店を続け、良くも悪くも共に歳を重ねてくれた妻に大崎は感謝の気持ちを抱くことが多くなった。

店と同じように、いつもそばにいてくれた妻もまた、大崎にとって共に暮らしていてもっとも収まりが良い人なのだった。

そんな安心感と満足感に浸る度、大崎は歳を感じる。人生が畳まれ始まっていることが分かる。 

とは言えまだまだ奥に引っ込むような歳ではないとも大崎は感じていたし、引っ込んだところで代わりに出てくるような孝行息子を持たない大崎は、自分の余生がこの先どのように展開していくのか、いや終息していくのかが分からず、焦りに似た感情を持つことがある。


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いつしか一向に変わり映えのしなくなった自分の生活に、些かの試練らしきものの影を感じたのは、今から6年前だった。

6年前、近所にコンビニができたときには客がみんな取られてしまうと焦ったものだが、長年大崎のパンを買ってくれる客は離れて行かず、結局今の今まで毎日のようにパンを買っていく者もいるのだから、所詮は杞憂で、自らの尻に火をつける機会に対する期待とでも言うべき感情に弄ばれた空騒ぎの時期だった。

コンビニができても客足はそれほど変わらないどころか、足繁く通う者も増えた気がするほどで、思いついて書き始めたアイデアノートには4つの新作パンやいくつかの新サービスの構想が書かれていたが実際には実行に移す余裕もないままに、いつの間にか無用のものとなった。

たまに思い出して読み返してみるが、新しい販路について、地元の食材を使った創作パンについて、24時間営業のコンビニに対抗できるサービスは? 

と言った、回答は示されないままの問題提起が大きな丸で囲まれているのを見ると、当時の自分がどれだけ逸る気持ちに翻弄されていたのかが分かり、些か恥ずかしくもなった。

しかしノートを捨てる気になれないのは、やはりこのノートに書いてある青臭い情熱の方があるべき自分だと思っているからだった。

常連客には感謝しているが、新しいコンビニには目もくれず、40年近く変わらないあんぱんやクリームパンを買って行くのを、大崎は心のどこかで軽蔑してもいた。

そんな客に、パトロールのことで茶化されたり、皮肉を言われたりすることに対しては、例えその裏にあるのが親愛の情だとしても、好意的に受け取ることはできなかった。

俺のことより自分の心配をしろと言いたくなるのをこらえたのは、このときばかりではなかった。 


 5/13
約1年前、長谷川優という女子高生が大崎の店に駆け込んで来たのは、とっくに閉店時刻を過ぎた午後9時半頃のことだった。

この日こそが大崎をパトロールに駆り出すことになった運命の日であって、安穏とした彼の温い日常に熱い血を注ぎ込むことになった日だった。

勢いよくドアを開け、明日パンが並ぶ台の裏にしゃがみ込んだ優はボロボロに泣いており、しきりに肩を引きつらせて、うまく吸えない息を必死に吸っている。

大崎はまずどこの子だろうと思ったが、優の顔に見覚えは無い。

見覚えはないというより、あまりに激しく泣いているものだから顔が見えない。ちらと見えた顔も猿のようで判別ができない。

とにかく優には椅子を差出し、店の鍵を閉めると、明かりをつけた。

そう、店はとっくに閉店しており、奥の作業場とレジカウンターの頭上にしか明かりはつけていなかったのだった。

いつもは奥に引っ込んで眠る時刻だが、この時期は息子の子が今にも生まれるかという頃だったから、できる限り店の電話の横に妻の携帯を置き、どちらにかかってきてもすぐに出られるようにしていた。

「そんなこと言ったらいつまでも起きてなきゃいけませんよ」
「そもそも生まれてすぐ連絡してくるかどうかも分からんってのに」
「私の電話にあなたが出たらびっくりするでしょうよ」 

妻にはこう言われたが、大崎は妻を相手にすることなく、自分が思うギリギリの時間まで店先で時間を過ごした。

ホットミルクを出して優の前に差し出すとこくんと頷いたが、それがお礼の意味だと知るのには少々時間がかかった。

名前を訊くと、特に親しくはないが親のことは知っていた。

続いて事情を訊くと、駅前で知らない男の車に引きずり込まれそうになったと言う。

優は必至で男の腕を振り払い、走り出したところ、咄嗟に明かりと人の気配が目に入ったのが大崎の店だったらしい。

大崎は自分の内に熱いものが湧きあがるのを感じた。

静かなだけで何もないと思っていたこの地域が、いつの間にか卑怯な犯罪の温床となっていたという事実と、もしかしたら既に被害者がいて、どこかで泣き寝入りしているのかもしれないという焦りが芽生える。

そして何より、目の前で泣いている少女の心に傷を負わせた男たちを思うと、久しく忘れていた、ただ熱いだけの怒りの感情が湧いてくる。

大崎は少女を怯えさせないよう、怒りをかみ殺しながら少女に接した。

今日は送ってあげるからと車に乗せ、長谷川家へと送り届けた。

玄関先で詳しい事情を話そうかと迷ったが、少女の気持ちも考え、自分は多くを知らないが、店に入ってきたとき少々取り乱していたようだったので危険だと思い、名前を伺えば幸いお宅のことは記憶にあったので、お節介とは思いつつ、連れてきてしまった、というようなことを伝えた。

親は慇懃に礼を言い、大崎の店の心配もしてみせたが、もう閉店の時間なので問題ないとだけ言って去った。

帰り道、駅近くのパン屋の店主だと名乗らなかったことを少し後悔した。

新しい客になるかもしれない、いや言わなくともあの子が言うだろう、そうしたら礼の一つも言いにくるだろう。そしたら何も買わずに帰るということはないだろう。

あの子の親のような、比較的若い世代が気に入るパンはどんなものだろう。

そんな風に考えてしまう自分に、過去に一瞬芽生えた情熱の残滓を見つけて恥ずかしくなり、こんなことがあった直後にも商売のことを考えてしまう自分に浅ましさを感じて大崎は苦笑した。 


6/13
優が駆け込んできてから3日ほど経って、ようやく息子から子どもが生まれたと連絡が入った。

女の子だった。 

聞いてみれば生まれてからもう2日経っていると言うのだから、毎日いち早く吉報を受け取ろうと閉店後まで店の電話の前に張り付いていたことをバカにされた気分だった。

そんな事情を話して息子を詰っていると、脇から妻が「そんなこと言ったってしょうないじゃないの」と口を挟んでくる。

電話の向こうでは息子が妻とそっくりな口調で「そんなこと言ったってしょうないだろう」と言っている。 

不機嫌になっているわけではない。

しかし、孫の名を訊いた途端、まだ顔を見ないうちに怒りが込み上げてきた。 
優を襲おうとした男たちに対する怒りだった。

こんなに美しく、愛おしい存在が傷つけられそうになるなんて、親の立場でものを考えれば許されることではなかった。

大崎に娘はいなかったが、孫が生まれたことで男たちの卑怯さがより許しがたいものとなった。

大崎は孫の話や息子の仕事の話に身が入らず、気付けば優の話をしていた。

これまで口を噤んでいたのだが、息子はもうこの辺りの人間じゃないから良いだろうと判断した。

「物騒だなあ」と息子は他人ごとのように言う。

「地域パトロールとかないのかよ?」とやはり投げやりに言うが、大崎の耳にはそれがとても良いアイデアに聞こえた。 


7/13
大崎は話の通じそうな人間に手当たり次第にパトロールの必要を訴えた。

地域でパトロール隊を結成する必要があった。 

優の話はしなかった。彼女は心に大きな傷を負っているはずだから、いたずらに世間に知られるのは良いことではないという判断だった。 

自分の店は駅の近くにあるから分かるのだが、最近、夜間に暴走車のブレーキ音が度々聞こえるようになった、辺りに酒の缶が転がっていることもあり、拾い集めたのは一度や二度ではない、わけもなくうろついている人影を見ることもあり不気味である。

この駅は通学する子も多く、また最近では学校や家庭でも部活動や塾に子どもをやることに熱心だから、夜遅くここらを通る子もいて心配である。

町が一丸となって防犯意識を高め、それを地域に知らしめることで、事前に犯罪を抑制するため、有志を募ってパトロール隊を組織する必要がある。 

大崎はあることないこと織り交ぜ、地域による防犯パトロールの必要性を説き続けた。

賛同者はすぐに13人集まった。

中には町長や教育委員会に務める連中もいたが、これは特に狙い定めていたのではなく、たまたま彼らが常連客だっただけだった。

後に感じたことだが、町長や教育委員会にいる者と早い段階で話ができたのは幸運だった。 

大崎が代表としてパトロール隊を結成することを町から委託されたと説明するのにスムーズであったし、教育委員会が所有する車両の一つをパトロールカーとして利用することを決める際にも楽だった。

大崎はこの巡りあわせを呼び込んだ自分の人望を頼もしく思った。

また、市や町の行政に直接関わらない、例えば真鍋のような連中もすぐに賛同してくれたのを見ると、やはり心のどこかで町の一員としてもう一花咲かせたいという気持ちがあったのだ、心底ではみんな一緒なのだと胸をなで撫で下ろすような気分だった。


8/13
はじめに青いパトランプを使用しての夜間パトロールをすべきだと発言したときには、いくらかの小さな反発があった。

そんなに大げさなことをしなくても、何人かで道を歩いていれば十分犯罪の抑止になるだろう、というような。

大崎の頭にはもちろん優が受けた被害があった。

車に引きこんで女性に暴行を加える輩がいることを知っている以上、もしものとき、徒歩だけで対応するのは無理がある。

やはり優のことを引き合いに出すつもりはなかったので、事前に仄めかしておいた暴走車の存在を根拠に、車を利用してのパトロールの必要を訴えた。

「そんなこと我々がせんでも、暴走車なんて、もしいたら警察に通報すれば良いだろう。深追いしたら事故に巻き込まれかねんし、第一、こういうパトロールというのは犯罪や迷惑行為の抑止が目的で、犯罪を暴いたり犯罪者を裁いたりするのが目的ではないはずだ」 

その通りではあったが、優の泣き顔が頭から離れない大崎は、少女にあんな顔をさせたヤツを許せず、多少、自分がそいつらをどうにかしてやりたいという感情があったことは事実だった。

大崎は、それでもいざというとき警察の積極的な協力を仰ぐ必要があること、青色防犯パトロールの申請に必要な書類はすべて自分が代表として準備し、手続きのすべては自分がすること、そして少なくとも自分の自家用車はパトロール用に使って良いことなどを訴え、しぶしぶと言っても良い雰囲気だったが、一応の同意を得て、何人かとは青色防犯パトロールの講習を共に受け、パトロールの許可申請を地元警察署へ届け出た。


9/13
許可が下りてからは毎日だった。

大崎は、毎日決まった時間にパトロールをする。

燃料代はバカにならないが、そもそも最近では車を使う機会は多くないのだから、車が錆びつくのを防ぐためにも、運転を忘れないためにも、少々乗った方が良いくらいだ。

息子が大学生の頃にはしばしば勝手に使っていたものだが、当時かかった燃料代に比べればかわいいもの。今考えれば、なぜ自分は黙って燃料代を払っていたのか。店が今より忙しく、小さなことは気にしていられないと思っていたのか。

今考えて腹が立たないこともないが、なぜか要領の良いアイツらしいと息子を評価するような感情が芽生えてきた。

いずれにせよ大崎は自分の判断にはいつも自信を持っていた。

自分が決めたことはたいていいつも良い結果へと結実し、そのときは損に見えることでも、気持ちに従っていれば必ず何か得るものはあると思っていた。 

あのとき、息子の連絡を待って店を開けていたのはどうだ。 

あのとき俺がいつも通りに店を閉めて寝ていたら? 

優は逃げ切れず、ひどいことをされてしまっていたかもしれない。

そう思うとゾッとするが、結果的に優に大きな被害はなかったのだ。

そんなことを誇らしく思うと、俺がもしパン屋じゃなかったら、とまで考えた。

俺がパン屋じゃなかったらこうして短期間でパトロール隊を結成することもできなかっただろう。

俺じゃなかったらここまで早く行動を起こせなっただろう。

もしかしたら俺がパン屋になったときから、あの子を守る運命だったのかもしれないなどと考えることまであった。

車両を利用しての防犯パトロールは大崎が率先して行うどころか、活動を初めて3か月と経たないうちに大崎だけが行うものとなった。

はじめは大崎の運転する車の助手席に乗ってくれた何人かも、大崎が設定するパトロール回数に驚いてからはあまり深入りしてはいけないと感じたのか、少しずつ人へ押し付けるようになった。

教育委員会の車もパトロールカーとして使えるのだが、決して協力的という訳ではなく、大崎が呼びかければしぶしぶと言った体で若い連中がほんの1,2周、地域内を運転する。

それでも大崎は満足だった。自分がやっていることが正しいことは目に見えていたから。


10/13
たまに優を見かけることがあった。

パトロールを始めてから1年とちょっと経った頃には、恋人らしい少年と駅の花壇の縁に座っているのを見つけた。

二人に近づくまではその高校生がはっきり優だとは分からなかったが、何となくのシルエットからまさかと思えばやはり優だった。

10時を過ぎていたので、大崎は二人の近くにゆっくり車をつけ、窓から早く帰るように促した。

男の方の顔は知らなかったから、このあたりの子ではないのだろう。わざわざ優を送り届けるためこの駅に降りたのだ。注意しつつも、優にもああして良い恋人ができたなら、あんな被害に遭うこともないだろうと胸を撫で下ろしてもいた。 

「はーい」と二人は素直に返事をして立ち上がる。

恥ずかしそうにぺこりと目礼をする優に大崎は満足し、それから駅の隅に入ってきてしまったことに今気付いたという風に決まりの悪い顔を作って見せ、転回を始める。

もたもたと車を動かしていると開け放していた窓から二人の会話が聞こえた。

 「え、警察?」優の声だった。

「いやパトロールだよ」

「警察じゃないの? ランプついてるよ?」

「青いランプだしボランティアだと思う。乗ってるのはただのおじさん」 

「えー、ただのって…」と笑う優。

「趣味の警察だな」 

笑い声。 

動揺した。

アクセルを強く踏んでしまいエンジンが唸る。

サイドミラーに二人が映り込んでいることには気づいていたが、顔は見られなかった。 


11/13
漫然とパトロールを続ける日が続いた。

優のことはやはり遅い時間に何度か見かけるが、大崎の車を見るとすぐに避けていく。

まるで自分が優に危害を加えようとしているかのようだ、と大崎は自嘲しながらも、優の元気な姿を見るのは楽しみだった。

優は大崎の車を見れば猫のように逃げて行くけれど、それでも夜遅くに出歩くことはやめようとしない。

部活や習い事、もしくはたまのデートで遅くなってしまうのは仕方ないとはじめのうちは思っていたが、いつしか、優はただ単純に遊び歩いているから帰りが遅いのではないかと思うようになった。

そうすると親に腹が立ってくる。なぜもっと厳しくしないのか。そんな風に監督が行き届かないから優があんな目に遭うのだ。


12/13
釈然としない気持ちを抱えながら2時間、3時間と駅近くをぐるぐると流した翌日、店先で大欠伸をかいてしまうのを真鍋に見られる。

自分はパトロールカーに乗らないで、たまに気楽な夜回りをするだけのヤツに、やはり根を詰め過ぎだと茶化される。

パトロールにではなく優に、と言われている気がして愛想を返す余裕もなく、あんぱんとクリームパンにウインナーパンといういつもの三つを乱暴に袋に詰めて、金を受け取るより早くおつりを返す。

真鍋は500円を出して30円の釣りを受け取るのがいつものことだった。

10円玉をどうしているのかとたまに思うが、今は心からどうでもよい。早く帰れとすら言いそうだった。

午後に売る分のパンを仕込みながらの接客が、この日は特にこたえた。

11時からは妻が主に店先に立ち、大崎の身体に余裕が生まれたのは午後2時。 
いつもは奥の寝室で仮眠を取るが、この日はついリビングのソファで居眠りをしてしまう。

気配を感じて目を覚ますと、真鍋がいる。

何をしていると聞くと陰気に笑って、家の中の防犯対策はしなくて良いのかと言う。

俺があんたの家に入り込んだのは一度や二度じゃないぞ。

居直った真鍋は、いくら音を立てても起きん、などと大崎をからかってから、愚痴をこぼし始めた。

なぜか茶を出さねばと思い大崎はキッチンへ向かう。

茶を出せばおおすまんと返す真鍋はいつもの通りだった。

茶を啜りながら、退職してから居場所が無いとか、趣味らしい趣味もないとか、先が見えなくて不安だとか、よくある話をする。 

続いて大崎が防犯に躍起になっているのを見るにつけ冷めた気持ちが募ったが、からかうつもりで大崎の家に上がり込むと胸がすく思いがしたと言う。

「やっちゃんが昼間俺に上がり込まれてることに気づかないで、パトロールに出かけるのがおかしかったんだ」 

「やっちゃんが警察ごっこなら、俺は泥棒ごっこだった」と真鍋は言う。

 「趣味の警察」と言われたことを思い出す。 

余生の趣味は泥棒かと愛想を返すと、「金は稼げないからアマだけどな…」と真鍋は言ってから土下座をする。

平謝りに謝って、通報だけはしないでくれ、モノには一切触れてないと言う。 
あんたばかりが活き活きしているようで辛かった。俺のことを見下すような傲慢さが鼻に付いた。かつてはあんたを救ったつもりでいたが、あんたは俺たちの好意をまるで感じていないようだったと今度は大崎にも非があるというようなことを言った。

真鍋が言うのは、あのコンビニが開いた年、大崎の店が盛り下がるのを心配して、真鍋が多くの友人にそれとなく声をかけたらしい。

コンビニのパンと同じ値段で、味は格段に上だという宣伝をした。

同じ地域の仲間として、一緒に頑張っているつもりだった。

恩着せがましいと思わなくもなかったが、それが本当なら、大いに助けられたことになる。

恩に仇する姿というのは、ときに許しがたいものだということが、今の大崎にはよく理解できた。

自分も人の善意に気付けないことはある。多くの人に支えられていることに気付かず、何もかも自分がうまくやっているつもりで、厚かましく生きていたりする。

だが優は。

優は俺が目の前で直接救いの手を貸し、家まで送り、わざわざパトロール隊まで作って見守っている。

その恩を感じないのは、いくら子どもと言えど世間知らずにもほどがある。 

親が教育しないのであれば、誰かが教育しなければならない。

あの子のためにならない。

大崎が防犯パトロールに躍起になっていた理由を、大崎は真鍋に話した。

趣味の警察と嘲笑われたこと、自分の顔も覚えていなかったこと、一向に素行を正すつもりもなさそうなことも。 

「やっちゃん、そりゃいかんよ」と真鍋が深刻そうな顔をする。


13/13
いつも優がうろついていると真鍋に伝えた時間に、大崎はあの日のようにレジカウンターの上の照明を付けたままにして、一向進まないクロスワードパズルに目を注ぎながらじっと座っている。

予定通りの時間に優が駆け込んでくる。 

「どうした?」と問うと、「また! また車に、連れ込まれそうになって」と今度は泣きじゃくるわけではなく腰を抜かした様子で、両手を膝につき息を切らしている。 

また

優はあの日のことを忘れているわけじゃなかった。俺があのとき優を助けたこの店の店主だということも分かっている。じゃなきゃ、「また」なんて言わないだろう。

だけどパトロールしている俺の顔には気付かない。お前を影ながら守っている俺に気付かない。

「どんなヤツだった!」と聞いても「分かんない!」と小さなパニックに陥っている。

真鍋の顔は見られなかったらしい。

優はすぐに落ち着きを取り戻す。

この短い間に、随分大人になったのだと思う。 

「まだいるかなぁ」と心細げにドアのガラスから外ばかり眺めてこちらに礼も言わない優の後ろ姿を見ていると、大崎の頭の中にはモヤモヤとした熱が昇っていく。 

「こんな髪にして!」と大崎は優の頭を後ろから乱暴に鷲掴みにした。

少しずつ髪の毛の色が薄くなっていることを俺は気にしていたのだ。

大崎を振り返ったときの怯えた顔を見てつかえが落ちたことを大崎は自覚しない。

「スカートもこんなに短くしてるから変な男に目を付けられるんだ!」と怒鳴って、スカートの裾を押し下げるようにする。

優はドアを開けて駆け出す。 

その夜もまだ明けていないのではないかと思えるほど早く、大崎の暴行はすぐに地域へ知れ渡る。 

最近イライラしているようだった。 

パトロールのやり方は異常だった。 

夜中に商店街をうろついているのを見た。 

暴走車なんて見たことがない。 

趣味の警察(完)

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折原圭
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