20210217 祖母の話
今月のはじめ、祖母が94年の人生を終えて旅立った。
よく「わたしゃ昭和元年生まれじゃ〜(方言)」と言っていたが、調べたら9月生まれはまだ大正じゃないか。元年って言いたかったのかな。
大正から昭和、平成、令和まで生きるって想像すると途方もない。
大正時代なんてもう感覚的には時代劇だものな。あまり語らなかったけど、戦争さえ越えて、どんな波瀾万丈な人生だったんだろうな。当時は女工をしていて、遠くに原爆の音を聞いたと言っていたように思う。
井上ひさし氏の戯曲「父と暮らせば」を読んだ時、おそらく主人公は祖母と同世代だろうなと思いながら読んだのを思い出す。
洋裁が得意で、おいしいものとオシャレ好きの、90歳を過ぎても好物ならわたしよりよく食べるし、出かける時はかわいい赤の口紅と綺麗な色のスカーフを愛用するキュートで大好きな祖母だった。
夏に帰省すればいつも美味しい桃をむいでくれたし、
庭で育てた桃もよくできるとうれしそうに食べさせてくれた。
わたしの芸名のモモは田舎の思い出の桃でもある。本名の苗字の家の桃。
秋頃に祖母が少し体調を崩して入院して、
地方なので、コロナ禍で病院からも大阪に住む私たちは見舞いを禁止されて、会うことが叶えられないままのお別れ。なんだかやるせない気持ちが抜けないまま、日々を過ごしている。
通夜式も、葬儀も参列させて貰えなかった。
いつかの親戚の葬儀の時、火葬場でわたしの手を握りながら「ばあちゃんの骨も拾ってなぁ」と寂しそうに言っていたのに、拾ってあげられなかったのが心残りでならない。ごめんねぇ。
高齢だった事もあり、覚悟はさせられていたからひどく落ち込むでもなく普通のテンションで日常を暮らしているのだけど、身近な人と悲しさや思い出を共有する時間もほぼなく、気持ちに折り合いをつけるタイミングを失って「葬送って生きてる方の為にあるんだなぁ」とまざまざと実感する羽目になっいる。
たぶんこの世界的なパンデミックは歴史の教科書に載る。
戦争を生きた人がいるように、コロナ禍という時代を生きているってことなんだろうな。
そして、生きていくってことは色んな感情を抱えていくってことでもあるな、と思う。
真夜中の、気持ちの整理。
受け継いだ遺伝子で精一杯生きていく。