
他力本願の本当の意味
よくネット界隈で使われている他力本願についてどうも意味が違うのではと思って調べてみた。どうしても使われている意味がおかしいとどういうわけだか思っていた。これは仏教用語で現在使っている意味とは違うという事。
親鸞聖人は『教行信証きょうぎょうしんしょう』に「他力たりきといふは如来にょらいの本願力ほんがんりきなり」と明示しておられます。
だから、他力とは、他人の力ではなく、仏の力、阿弥陀仏あみだぶつの慈悲のはたらきをいうのです。
仏さまの生きとし生けるものを救わずにはおれないという強い願いのはたらき、これが「他力本願」なのです。
今、本願寺では、親鸞聖人のご正忌報恩講しょうきほうおんこうが勤められています。この期に、聖人の根本の教えである「他力本願」を正しく理解し、聖人のみ教えに生きたいものですね。
いつの間にか言葉の意味がおかしくなり他人を頼るなになってしまっている。頼れる人がいる場合頼ってもいいような気もしますが。いつからこうなったのか。何もかも一人でするのには限界があると私は思っているし助けが必要な人がいれば助けたいと思っている。それが何であれ助けられることがあるならそれでいいんじゃないかなと。