映画「TENET」感想 ~ニールとしずかちゃん、時間軸の違う自分の仕業~
※以下、初見時の「TENET」の感想です。ネタバレご注意ください。
①クリストファー・ノーラン監督の最新作「TENET」
クリストファー・ノーラン監督は、名前でお客さんを呼べる監督としては、おそらくスピルバーグやデヴィッド・フィンチャーとならんで、現代トップクラスの監督だろう。私もノーラン監督の作品は、「インセプション」以来、封切りの日に見るようにしている。
今年は3月に「ミッドサマー」を見て以来、映画館には行けていなかったが、これは見なくてはならないと久々の映画館へ。
そんな中で見た「TENET」は、映像の面白さと迫力に目眩まされ、007の如き豪華さに圧倒される、非常に特異な作品だった。
②「最初わからなかった現象が実は時間軸の違う自分によるものだった」現象
まず私が気になったのは主人公の時間逆行が始まり、カーチェイスのすれ違った車や、フリーポートで戦ったガスマスクの男が、実は時間軸の違う自分だったとわかっていくところだ。
「この感覚どこかで味わったことあるな」と考えて、すぐ浮かんだのは「ドラえもん のび太の魔界大冒険」における石像シーンだった。
初めは意味不明に登場したドラえもんとのび太の石像が、実は危機を知らせに来たが魔物に石像にされてしまった未来の自分たちだったというシーンだ。つまり、「最初わからなかった現象が実は時間軸の違う自分によるものだった」というやつだ。
思えば、この「最初わからなかった現象が実は時間軸の違う自分によるものだった」は、同じノーラン監督の「インターステラー」でも表現されていた。
「インターステラー」の宇宙船でのブラックホール突入後、宇宙人(と思ったら自分)との4次元的接触、そして本棚の本落としによる警告メッセージも、最初は未知のものとして現れ、実は未来の自分によるものだった。
③さらに脱線「ノスタル爺」
余談だが、「インターステラー」を見たとき、私は藤子・F・不二雄の短編マンガ「ノスタル爺」を思い出した。「ノスタル爺」は、まだ戦時中の幼い頃に見た田舎の家の座敷牢に閉じ込められていた狂人の爺が、実は時間軸の違う未来の自分だった、という話。出征で恋人と別れる学生時代の自分に対して、それが永遠の別れとなることを知る爺(自分)が泣きながら「抱けぇ!!」と座敷牢から叫ぶシーンが有名だが、「インターステラー」の本棚の隙間から過去の自分と愛娘の別れを見て、「行くな!!」と叫ぶシーンは、まさに「ノスタル爺」状態だった。
2021年現在、我々人類は(私の知る限り)時間軸を飛び超えることも、過去に戻ったりすることも、残念ながら出来ていない。
しかし、我々は自分の過去の記憶を脳内で再生することで、似たようなことを日々やっている。それはつまり「後悔」というものだ。
ここで表現されているのは、「後悔」=「取り返しのつかない『死』をくつがえしたいという実現不可能な願い」であり、本当はもう終わってしまった「愛する者との別れ」の追体験なのである。
それは、この「TENET」のテーマである「時間を巻き戻す」という願望にもつながる。「時間を巻き戻す」という願望の裏には、生命が死にむかって時間を順行する存在であるとすれば、ある意味では「死に抗いたい」という生命の究極の願いでもあり、「起きてしまった過去という事実に抗いたい」という人間の実現不能な願いだ。
ゲーテのファウストになぞらえて言えば、「時よ止まれ!おまえは実に美しい!」とでもいうか。
さらにさらに余談だが、ノーラン監督出世作「メメント」も、犯人を追っているのかと思ったら犯人は過去の記憶を失った自分だったという意味では、そのパターンの一種なのかもしれない。
「時間」はノーラン監督のひとつのモチーフであり、今回の「TENET」もそのような時間軸いじりの変奏曲とも言えよう。
④IMAXで見るべき映像表現
オペラシーン、飛行機突入、高速道路カーチェイス、順逆入り乱れての集団戦、どれも見たことのない一級の、IMAXで見るべき映像だった。ただ、わけはわからないが…
25年ほど前、私の父はなぜかIMAXシアターが大好きだった。今でも映画館では最前列での鑑賞をモットーとする変わり者の父だが、昔からとにかく映画に迫力を求めているようだ。
その父が、私が小学生の頃に海外旅行で連れて行ってくれたのが、ナイアガラの滝の近くにあったIMAXシアターだ。
その当時のIMAXシアターは普通の映画作品ではなく、IMAX専用の作品をかけていた。私が見たのは、ナイアガラの滝への飛び込みチャレンジャーの歴史を描いた映像だった。樽に入って滝下りして死んだり、滝の上空にロープをかけて渡って落ちて死んだり、ただ流れて落ちて死んだり、普通にたくさん人が死ぬので非常に衝撃的な内容だった。英語など全くわからない小学生が見ても面白いドキュメンタリーで、なんといってもナイアガラの滝の映像の迫力がすごく、いまでも心に刻まれている。
記憶にある方も多いと思うが、新宿の高島屋の上にもIMAXシアターがあった。ここでもオープン当初はIMAXオリジナル作品がかかっていたと記憶しているが、それも今や昔。IMAXクオリティで、「TENET」のような迫力ある映画界の本気の面白い映画が見れることは、なんと喜ばしいことだろう!
⑤ニールとしずかちゃんーー過去に戻って仲間を助けにに行く
話を戻す。
この映画で際立つのは、ニールの存在だ。
時間軸両面からの挟み撃ちのさなかで、主人公を助けに来たニール(らしき人)が死ぬが、主人公と作戦をともにした時間軸のニールは生きている。
そして戦いが終わった後、生きているほうのニールは、これから主人公を助けに死にに行くという定められた運命にむかって去っていく。映画上、戦いは終わっているが、このニールはさっき見た戦い=自分の死へと戻らねばならないのだ。
ニールは言う、「起こったことは変えられない。これは世界の仕組みである運命のことだが、だからといって何もしなくていいっていうことじゃないんだ」
ーー私はここでもまたドラえもんを思い出してしまった。
「ドラえもん のび太の大魔境」のラスト。この国には古くからの言い伝えがあり10人の外国人が国を救いにくる、という予言があった。予言の助っ人ってドラえもんたちのことなのか?と思うが、そこにはドラえもん、のび太、スネ夫、ジャイアン、しずかちゃんの5人しかいない。あと5人は誰だろうと思っていると、未来の自分たち5人が秘密道具を携えて助っ人として助けに来る。5+5=10 10人の外国人はやっぱり彼らだったのだ。敵を倒して一見落着、家に帰ろう、となる。これで映画も終わりだというところで、しずかちゃんが言う。
「これで終わりじゃないのよ。約束を守らなきゃ」
そして5人は先程我々が見たばかりの戦いに、今度は助っ人として戻るーーというラストだ。
ニールとしずかちゃんの覚悟と責任感に、私は同質のものを感じたのだが、それは少し言い過ぎというものだろうか。
「TENET」難解だが、巨大なスクリーン・素晴らしい音響の映画館で見るべき作品だ。
クリストファー・ノーラン好きなら。(★★★★☆)
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