地域の歴史 地形・海岸線の変遷
最近、能登半島の地震で半島北側が4m隆起したと。
吉備では古代史では、現在の岡山駅近くまで海岸線がきていたという。そのため岡山駅という岡山市外中心部のすぐ北側には貝塚などの古代遺跡が多数出土しているし、近世までは海があったとうかがわせる「島」がつく地名も数多い。
その例が、岡山大学がある「津島」、後楽園の東の「原尾島」、南区の「箕島」などの地名が日本古代史では島があったことを物語っている。
http://www.hosocom.jp/rekisi/kojima/zu02.html によると
現代の地形はgoogle mapでは、児島地区が古代ではまさしく児島(島)だったことがわかる。今の岡山市は吉備の穴海の海中にあったようだ。
では、どういう理由で海岸線が現在の岡山駅から南5kmあたりまで後退したのだろう?それは、伝えられる干拓事業だけなのだろうか?
http://www.pal.pref.okayama.jp/pal/search/searchdtl.aspx?stdycd=699
によると「瀬戸内海中央部は一般に沈降性の海岸地形が卓越しており、第三期後期から地盤がほぼ安定、もしくは沈降してできたところである。」
瀬戸内海の東部(兵庫県~大阪府)や広島県から山口県に関しては海岸段丘などのいろいろな記述あるが、なぜか中央部の岡山市近辺についての地質的な解説はなかった。
地域の地形という重要事項でさえ、その変化の原因は必ずしも明らかではないようだ。
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