キリスト教を嫌悪する理由
これも、結論から言うと、
キリスト教があることによって、
戦争や争いが起きるから。
キリスト教がなければ、
戦争は起きてないと思う。
戦争の何が良くないって、
あまりにも関係のない一般市民を巻き込み、
大量の動植物を含めた命が失われたことにある。
昔からどの地域においても、
地元に根付いた宗教というのは存在し、
多少の争いはあれど、
それは志願するもの同士が任意で行なっていたものがほとんどだった。
日本を見れば分かる通り、戦うのは基本的には武士。
もちろん、犯罪や虐殺などを行えば、罪に問われたのだ。
日本の文化は、中国からの輸入が多い。
中国では、基本は志願した兵によって、戦いが行われた。
宮廷などでは、権力争いのため、身内を騙し合い殺し合うということがあったが、
中国の古くからの物語などを見るに、
一般市民が何の前触れもなく侵略されて、全てを奪われて、辱めを受けた
といった印象を受けるものはあまり見ない。
見たとしても、そんな人間は非道な人間として描かれる。豪傑が非道な人間をぶっ飛ばすといった描かれ方をする。
自分を律する強かさを美しいとされ、自分の身は自分で守る。
自分の名を武道によって、どれだけ轟かせるか、
自分の名前に泥を塗らないように生きるには、
天に恥じない生き方は何か?
などといった内容のものが多い。
中国には、天道というものが存在する。
少し前まで、中国では国を統べるものは、天が選ぶと信じられていた。
天(自然)に恥じない生き方を積み上げてきた文化といった印象がある。
未だに、自分の精神や身体能力をどこまで高められるか?ということに人生のすべてを費やす中国人を見かけることができるだろう。
自然に愛され、自然の中で、自分を律し、強かに生き抜くには
という観点で、彼らに学べることは多くあると感じる。
一方、キリスト教は、歴史からも、様々な場所で語られる考え方からも、今見える事実からも
侵略・略奪・異教徒の淘汰
というベースが見て取れる。
彼らのどの作品からも、どの物語であっても、
発言に至るまで、滲み出ている。
「自分たちは正義だ。他は間違っている。
自分たちの言うとおりにすれば、お前たちは幸せになれる。」
まるで、私たちが幸せじゃないみたいに笑
キリスト教は他教を異端と呼び、
自分たち色に染めて、服従することを望んで様々な手を尽くしたが、
結局は果たすことができず、諦めて落ち着いたように見えるけど、
異教徒を認めたわけではなく、腹の底では自分たち以外の宗教を認めてない。
物語などの描き方も、
自分たちと同じような人間が悪いことをするみたいな描き方は少なく、
全く別の存在、魔女や怪物をでっちあげたり、
肌の色が違う、異形の存在が悪みたいな描き方をする。
同じように見えても実は悪魔だったとかね、
とにかく、自分たちのような人間が悪であるはずがないという前提が見え隠れしている。
本当は、もしかしたら、一般市民が書いたものは人間の残酷さを描いているものもあったかもしれないが、
途中でイメージをコントロールするために脚色を加えた可能性もあるかもね。
グリム童話とかを例にあげてもありなんな話だろう。
正義を捏造しなきゃ、権力を振るえませんから。自分たちが間違ってるなんて、口が裂けても言えないわけ。
仏陀(仏教)や孔子(儒教)は普通の人間だった。仏陀は、やや神格化された雰囲気もなくはないが、弟子が書いた書物の中では、仏陀は普通の人間のように描かれている。
孔子は言うまでもなく、神格化さえされなかった、普通の人間だった。
運良く長生きし、自分で書物の編纂にも多く携わったらしい。
紀元前に大往生したんだから、科学なんてものをこねくり回さなくても、長生きする方法なんて、大昔からありそうな気がするけどね。
インドは仏教、中国は儒教、
日本は表上は仏教徒が多くみえるけど、文化は儒教の影響を強くうけている。
神道は?と聞かれそうだから、先に答えておくけど、おそらく、神道の歴史は短い気がする。
これは私の推測でしかないが、
天皇が神であるみたいなことに説得力を持たせるためにでっちあげに近い形で作ったのが神道じゃないかな。
もともとは、古事記にイザナキとイザナミもいなくて、どこか途中で、キリスト教のアダムとイブ的なものをブチ込みたくて、後付けして作ったのが、今の古事記なんじゃないかなぁと。
歴史なんて、嘘つこうと思えばいくらでもつけますからね。
真実を確かめる方法なんかない。
その時代に生きていた人なんていないからね。
権力のある人がそれが正しいといえば、みんな疑いもなく信じる。
暦や生活に当たり前のように染み込んでいる習慣、しっくりくるものは、後付けや後の変更は難しいけど、生活と直結しないものの、ごまかしなんて、いくらでもできる。
今でも、水面下でキリスト教の布教と侵略は続いているのではないか?と私は感じている。
彼らキリスト教徒は自分たち以外のもの全てを自分たちの思い通りにしようとする動機に終始し、
他者に対しての許容や寛容さが少なく、他者が常に自分たちより劣って、醜くあらねばならないという底なしの欲望に埋め尽くされている。
ついでにいうと、イスラム教はキリスト教から派生したものだけど、
キリスト教さえ、イスラム教に対して寛容であったのなら、無駄な争いは起きてない。
加えて、社会主義国に目くじらを立てているのも、キリスト教(資本主義者:元貴族)であり、ロシア・中国vsヨーロッパの構図は未だ微動だにしない。
ヨーロッパさえ寛容であるなら、おそらく、ロシア(ロシア正教)・中国(儒教)は武力に力を入れることはなかったんじゃないかなと思われる。
少なくとも、近代史において、中国が他国を侵略したことはなく、また、戦争によって喧嘩を売られても買わなかった。本気を出せば、日本も領土にできるだろうに、それもしなかった。
本当のところは当事者にしかわからないけども、
アメリカの枯葉作戦や原爆投下以上の非道を他国はしていない、
という事実は周知のことである。
やろうと思えばやれるけど、
どの国に対しても目に余る非道は行わなかった。
その差は大きい。
ちなみに、これも私の推測でしかないが、
ヒトラー率いるナチス軍は、ドイツ人ではなかったのでないか?と私は考えている。
ヒトラーがドイツ人にわかりやすく支持されるような気がしない…もし、仮に支持を受けていたとしたら、嘘によるものが流布されていたのではないか?と思う。
なんか、ずっとドイツ人がそんなアホだろうか?という疑問が湧いて仕方がない。
普通の人間とは別次元の何かが、運良く政権を握り、ナチスを作ったような気がする。ユダヤ人を目の敵にしたあたり、ユダヤ教を否定し続けてきた何者かたちだとは思わない?
まぁ、あくまで、この手の話は推測の域を出ないけども、それぞれの宗教の人たちが普段どんな生活を送り、どんな言動をしており、どんな結果を引き起こしているか、をよくよく観察していけば、多分にヒントは得られるような気はしている。
どんな文化が人々の精神や生活を踏みにじり、
どんな文化が自然を破壊して、
どんな文化が狭心か、寛容か、
それぞれで注意深く観察して、
細部から情報を読み解いてほしいと思う。
その上で、どの宗教を信仰するかは、もちろん本人次第だし、とやかく言うつもりはない。
ただ、私や私の仲間、好きな人たちを傷つけたり、苦しめたりするようなら、
私は物申すし、簡単には許すことはできない。
ちなみに、私はどの宗教を信仰したいかと問われれば、儒教だな。
覇権争いに家族で殺し合いを繰り返す皇族にうんざりして、権力から離脱し、野に下り一般市民と最後まで生活を共にし、権力に嫌味を言い続け、最後には女嫌いになった孔子の生き方は、痛快に感じるからな笑