ここ最近の思考、散文メモ
自分ってどんな人好きになるかなぁー
って、ツラツラ考えてたんだけどさ、
仲良くなれる友人とかもそうなんだけど、
圧倒的にアウトローな人が多いんよね笑
なんか、変なやつ
みたいな人と仲良くなりやすい。
学生時代は、
集団に馴染めないハミゴになってるオタクとかマニアとか、
キャラが独特すぎて浮いてる人とか、
家柄が特殊すぎて何となく疎外されてる人とか、
そんな人とばかり連んでたなぁ。
私の人生あるあるで、
リストカットしてる人とかも縁が多い。
高校の時と社会人に出てからも仲良くなった人が実はリストカットしてたみたいなのあったわ。
闇を抱えてそうな人が気になってしょうがないというか。
意識してたわけじゃないけど、危なげな繊細さのある人って心惹かれてしまうんかもしらん。
自分が単純で雑すぎて笑
私に近づいてくる人は多種多様で、
ある程度は許容しているんだけど、
結局、ちゃんと仲良くなりやすいのは、
自分の考えがしっかりあって、
しゃかしゃか自分で動ける人で、
あと、変に物怖じしない人かなぁ。
なんか分からないが自信家が多い⁇
私としゃべる人はメンタルタフじゃないとかわいそうかも…😅
社会人になってから仲良くなるのは、
女性だけどバリバリ働いてて楽観的だったり、
仕事に対してのこだわりが強い人だったり、
趣味に没頭して自分の理想を追求してる人だったり、
シンプルに自営業の人とはめっちゃ仲良くなれたりする。
共通認識にズレが少ないんよね。
どうすれば稼げるか?とか、
距離感のうまいコミュニケーションの取り方・考え方とか、
勉強になることが多い。
逆に苦手だった人たちは、
受け身すぎる人、休み時間にテレビドラマの話やゴシップネタばかり話す人、自分の会社がどうやって稼いでるのかに全く興味がない人、恋愛マウントに終始する人、冗談が通じなくて遊び心のない人、大口叩くけど仕事してる場面を見受けられない人……うん、キリがない笑
この苦手な人たちを避けて避けて、
今、生きてますねー。
無用の用ってあるんだけどさ、
自分自身の余白を味わうのは好きなんだけど、
他人にその余白を邪魔されるのは好きじゃない笑
グラウンディング⁇つうのかな、
自分の余白は地球の根底とのつながりを確かめる時間に使いたいから、周りの騒音や雑音はうざったく感じたりするんよ。
変なことを言うようだけど、
私は目に見えない子たちに助けられてるんよ。
その子たちを裏切らないように生きている。
目に見えない子たちには人間みたいなの
も含まれてるんだけど、
人間以外の存在の方が多いんよね〜
だから、自分は運が良いのだと思っている。
目に見えない子たちが助けてくれる方向にしか進めないんよ。
だから、正直、
私は私であって私でない
と常に考えている。
「こうしたい」と思ってるのは間違いなく私であるんだけど、もしかしたら、そう思わされてるのかな⁇と思う時もある。
概ね、それに沿うことには抵抗は無いつもりなんだけど、
ときどき、そこからはみ出したくなって、
意地を張るとまぁーえらい袋叩きに遭いますね。
だから、神様が嫌いなの。
自由を求めるための協働は、
誰かの足並みが崩れることを許さないというシステム下において、不自由を強いられる。
結局は、地球という共同体の中に生まれてしまったからには、その役割を果たさなければ、生きていくことが難しい。
いつか、神を殺して、システムの外の自由を求めに旅に出るのが夢なんだが、
きっと、地球が恵まれすぎているから、外は地獄なんだろうなぁと。
人として何かを感じられるというのは、
多大なる奇跡の集積物なんだよね。
私たちの存在は、私たちのような存在になるまでに計り知れない試行錯誤と犠牲を伴っていて、それは一朝一夕にはなしえないわけで。当たり前だけどさ笑
「私」という存在は目に見えないものたちの後悔と苦悩の集積物であり、現段階での最終形態なの。と思っている。
漂うだけの粒子たちには、
見て聞いて触れて感じて、
感情が湧きあがるなんてことが、
「できない」のだょ。
一瞬の「感じ入る何か」のために、
莫大な奇跡とエネルギーが注ぎ込まれている。
それが目に見えない今までの「私たち」すべての望みだったとするならば、
生きているだけですごいなぁ
って思うでしょ?
ただ、それが本人たちにとって、
牢獄に感じることであったとしても。
だから、哲学者はそう思うのかもね、
と私は思ったりする笑
話が飛躍したけども、
自分の全身全霊を信じて、
目に見えない子たちが導いてくれる先に
どんなことが待ち構えていても、
神(システム)を裏切るぐらいの
可能性を切り拓きたいと思わないかしら?
桁違いの経験と出会いになるといいなぁ〜
って、思ってるょん❤️
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