【読了】紫式部と清少納言が語る平安女子のくらし | 鳥居本 幸代
大河ドラマ「光る君へ」にドはまり中なので、より知識を深めたかった。
優しい語り口で、主に平安時代中期の貴族の女性について分かりやすく知ることが出来ます。
あっさりしているかと思いきや、図や表も多いのが嬉しい。
もしも自分が貴族の女性として生まれたら…?という、妄想も膨らませることができます。
最初にカラーで、「平安自体の色目」が出てきて、これだけでも嬉しいのだけど、カッコで(ファッションセンスを磨く)とあるのがより心憎いです。
文章だけでもいろいろ想像できるものですが、図や表があると、薄ぼんやりとした、または自分に都合のいい想像が、より具体的にリアル感を増すというものです。
本を読んで、思ったことをつらつらと。
賢妻の条件
縫いものと染めものの腕がなければ、賢妻とならなかったとは驚きました。
自ら針を持つ、自ら染める…
私も数年前に、たんぽぽを摘んで古い絞りの帯揚げを染めたことがありますが、染めもののために花や植物を探しに行くのも楽しいひとときだったのかも?
移り変わる出仕
いつからか、貴族の娘は多くが宮仕えをするのが当然となり、家から出ない者は変わり者か、よほどの事情がある者になってしまった…というのにも驚きました。
相当の身分のお嬢様はもちろん、皇族のお姫様まで宮仕えをしていたというのにはびっくりです。
キャリアウーマンだらけってことですね。
紫式部が相当しぶしぶ宮仕えをしていたことは、よく知られています。
紫式部的には、出仕は何らかの事情がある者がやむを得ず(生きるために)することであり、のほほんと専業主婦のままの方が良いわ…とのことだったようです。
(宮仕えはさまざまなチャンスに恵まれる反面、様々な人に姿顔をさらすことにもなるので、彼女のポリシーに反していたのだろう)
しかしその紫式部が仕えた中宮彰子の母、倫子は、身分の高い貴族の娘に出仕を促しまくっていたそうで、周辺の貴族たちは倫子からいつ声がかかるかと戦々恐々としていた…というのを別の本で読みました。
倫子に声をかけられたら最後、断ることは出来ず、かといって仕えたくない…
もしかしたら自分が使っていたかもしれない娘に自分が使われるなんて、皆さんの複雑な気持ちはよく分かります。
が、その強引な出仕促しにより、一人、また一人と落とされていった結果、出仕がしごく当たり前のこととなり、むしろ娘のたしなみのため、に変化していったのかもしれません。
あと、もともとそこまで身分の高くない貴族の娘が、宮仕えしている母親にくっついて女童として使える…虎の威を借るじゃないですが、私ならちょっと調子に乗ってしまいそうです。
清少納言が羨ましいと言っていた、乳母の強運
①狙ってか偶然か、高貴な方の出産と自分の出産、少なくとも授乳の時期が重なる
②無事に出産出来て、産んだ後も元気(肥立ちが悪かったら動けまい)
③乳の出が良い
この3条件、けっこう難関。
乳母はそれを潜り抜けて慣れる職業なので、確かに強運の人と言えるなぁと思いました。
日本の香りの楽しみ方
P141「香を楽しむ」で。
香文化の始まりは推古3年(595年)に偶然、高木が淡路島に漂着したことから始まると書かれていて、日本書紀にいついつと記録まであるのに驚きました。
しかし、高木をはじめとする植物性のもの、麝香などをはじめとする動物性のものなど多岐に渡るが、四季を通じてあれほど花を愛でている貴族たちが、例えば梅・橘・藤、変わり種では紫蘇や蓬など
「この香りを閉じ込めておきたい!まといたいっ!!」
とはならなかったでしょうか?
日本の香りの歴史って、香木などを削って焚き、その煙を楽しむ感じで、精油のような液体に凝縮ではない気がする。
成分のみを抽出する方法を取らなかったのはなぜなのだろう。
香りの歴史の本を読むのも楽しいかも、と思いました。