肩書に縛られない生き方
おはようございます。わたらいももすけです。
肩書に縛られない生き方ってどう思いますか?
悪く言えば中途半端。
結構この生き方を提唱してる人って多いと思っててでもなんだかんだ非難の対象にもなりがちな生き方なのかなと思っています。
私は少なくともこの生き方には賛成というかまさにこの生き方の通り生きてるって感じです。
■好きな時に好きなことしたい
なんといってもこれですね。僕はこの気持ちが非常に強いんです。僕がこれまでやってきたお仕事にはこんなものがあります。・写真・映像・イラスト・デザイン・文章執筆・プログラム大雑把にわければこれだけありますが、それぞれのジャンルにもさらに細かい内訳が存在します。
■わたらいももすけって何してる人?
カメラマン?映像作家?写真家?イラストレーター?デザイナー?ライター?ポエマー?プログラマー?システムエンジニア?
ね?絞れないでしょ?肩書ってなに?必要ある?僕の場合は必要ない。
だってこれらすべて僕がやりたいことだから。
■それ一本で食べていけないから兼業しているのか?
この生き方の非難対象になりがちな論点として「そもそも一つのことだけで食っていけない」ってのがあります。
今は個人の力が強くなってきた時代です。しかし、クライアントが企業ではなく、個人に求めるのは「技術力」ではなく「安さ」だったりします。
個人が安さを求められる昨今、個人が生き残るために自分の得意なこと1本で食べ行く「専業」ではなく「兼業」が多いのもまた事実。(この場合の兼業とは「会社員」+「個人事業」の形式だけではなく、「個人事業」+「個人事業」例えば「デザインもするカメラマン」なども含みます)
僕の場合もまさしくこれで広い言葉で言えば「兼業」です。
でも僕の場合、カメラマン一本じゃ食べていけないからイラストレーターをやってるわけじゃありません。写真もイラストも楽しいから両方やるしやりたくないときはやらない。って生き方です。好きな時に好きなことして生きていく。という生き方です。だから今月はイラスト描きたくないってときは基本的に絵の案件は受けません。
そして僕が言いたいのは、
■肩書に縛られないという生き方は付加価値がついてまわるということ。
今の時代、個人が生き残るために付加価値は必要不可欠ではないかと思っています。
クライアントからみて同じ5万円払うなら「写真はあの人に頼みたい」と思われたいものですよね。その人にしかできないことそれが付加価値です。
肩書に縛られずに生きていくと自然と付加価値がついてきます。
例えば、あるバンドマンが「CDジャケットのデザインとMV撮影を依頼したい。でもCDジャケットのイメージとMVのイメージはできるだけ統一したい。デザイナーとMV監督を別々にするとどうしてもイメージにずれができるしなぁ・・・」なんて風に思っていたとします。
わたらいももすけの出番です笑
もし僕の作品がバンドマンの思うイメージに近いのであれば万々歳。各方面のクリエイターに依頼するも省けるし、予算もある程度相談に乗ってあげられます。これが僕の付加価値です。
①最近とあるバンドからジャケットデザインの依頼があり撮影しました。
②するとそのバンドから次はジャケットのイメージにちかいMVを作れないか?と相談され作りました。
③すると次は「バンドの成長が伸び悩んでいる。」と相談されSNSを活用したプロモーション方法を提案しました。
当初、ジャケットのデザインを受注したはずが最終的にはバンドのプロモーションまでやらせていただけることになりました。
鈴なりに好きなことがつながっていく瞬間です。
最高に楽しい瞬間です。
続きは来週。
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