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title『おーい磯野! ポケモンしようぜ!』
遠方に住んでいる友人が、今『ポケットモンスタースカーレット・バイオレット』(の、スカーレットの方)にハマっているらしい。お子さんと一緒に楽しくパルデア地方を冒険しているという。微笑ましいことである。
私もポケモンは大好きであり、ナンバリング(というのか?)シリーズはほぼプレイしている。その友人が先日、ポケモンセンター(現実)に行ったからと、私にヤドンのマグカップを送ってくれた。岡山のポケセンは潰れてしまったので大変ありがたい。薄いピンクのマグカップは愛らしく、かわいらしい。
同じ友人から、先日こんなLINEが来た。
『次のポケモンが出たら、違うバージョン買って交換して遊ぼうね!』
ポケモントレーナーとして、これ以上に嬉しいお誘いはないだろう。
(この友人とはずっとこういう小学生みたいなやり取りをしており、その話も面白いのだが今回はポケモンの話をしたいと思う)
初代『ポケモン赤緑』が初めて発売されたのは私が中学生のころだった。当時高校生の次兄と一緒に買ったポケモン(私は赤、兄は緑)に二人ともハマりまくり、151匹の名前もすぐに覚えたし、モノクロの画面に登場するポケモンたちが全員カラーに見えるほどに攻略本を読み込んだ。ポケモンのためだけに通信ケーブル(当時はインターネットなんて普及していなかったので、ゲーム機をケーブルで直接繋ぐ必要があった)を購入して、次兄とだけポケモンの交換をした。なぜなら、中学生女子はそろそろマンガやアニメやゲームから卒業するころのおませさんがほとんどであり、畳に寝っ転がって延々ゲームボーイでポケモンを遊んでいるような子は周りにあまりいなかったからだ。(今はそのへん緩くていいと思うが、約30年前の価値観はわりとそんなもんであった)
そういった環境も影響し、次作『ポケモン金銀』が発売されるころには次兄は実家を離れていたし、一緒に遊ぶ相手を失くした私は自然とポケモンから離れていった。
その後、私が再びポケモンに一生懸命になるまでに約20年ほどかかる。『ポケモンウルトラサン・ウルトラムーン』でなんとなくカムバックした私は、ポケモンが当たり前にカラーで動いてピカチュウが「ピカチュウ」とかわいく鳴くのに感動した。(赤緑のころは「ケシャァァァァ」みたいな感じだった(個人の感想)) ポケモンをいつでもすぐにやるために、ニンテンドースイッチライトも買った。
ちなみにポケモン赤の御三家(最初に配られるポケモン、三匹から選べる)でゼニガメを選んだ私は、ほかのシリーズでもずっと最初のポケモンは水タイプと決めている。
やり始めればやはり夢中になってしまうのがポケモンだった。今も交換する相手はいないが、周りが誰も遊んでいなくても昔のようには気にならないので、のんびり冒険を楽しむことが出来ている。
友人に釣られて久しぶりに『ポケモンスカーレット』を起動してみた。図鑑の埋まり具合はそこそこである。違うバージョンと交換しないと埋まらない部分もあるので、その点諦めていたのだが、スカーレットバイオレットではある程度ならレイドバトルで手に入るらしい。
友人も今回はスカーレットを買ったので、私はバイオレット限定ポケモンを探すレイドバトルの旅に出た。
お気に入りのポケモンを連れての冒険はなんとも言えず楽しい。
次回作を一緒に買う約束もしたことだし、今はパルデア地方(スカーレットの舞台)をゆっくり巡って図鑑を埋めようと思う。
「次のポケモン、一緒にやろうね!」
あと20年経っても、そう言い合える友達でいたい。
だからあと20年はポケモンにも続いてもらわないといけない。