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『シン・仮面ライダー』シンゴジより好き

「ビッグ・ブラザーとはウルトラマンであり、リトル・ピープルとは仮面ライダーである。」

リトル・ピープルの時代作者: 宇野常寛

「暴力って好きよ、俺。それが絶対的な恐怖で戦慄ならなお、ステキ。暴力って理に適ってたりつじつまが合ってたり同情的である必要ないだろ。苦痛のみが全てを司どる。傑作だぜ、まったくハハハハ。」

『鉄コン筋クリート』松本大洋

小さい頃「クウガ」とか「アギト」見てた気がするけどほぼ記憶ないので、人生で仮面ライダーのTVシリーズを通して観たことない。

仮面ライダーに対して思い入れも興味も一切持ってない人間が一本の劇映画として『シン・仮面ライダー』を観たが、めちゃくちゃ面白かった

Twitterに流れてくる公開から初発の感想群の評判あまり芳しくなかったので、「おいおい大丈夫かしら」とハードルが限りなく低い状態で観たので映画の中身自体がそもそも面白かったのに、油断してる時にボディブロー食らった時のような衝撃があった。(逆に「シン・ウルトラマン」は「シン・ゴジラ」で自分のハードル最高に高まってる状態で見たのでかなり期待はずれだった)

全然方向性は違うけど個人的には「シン・ゴジラ」くらい面白かった

オープニングの研究所から逃げ出した仮面ライダーがショッカーの下っ端たちを一方的に素手で殴り殺すシーン(血糊ドバドバ)で「あ、これ傑作だな」と思った。
「仮面ライダーはこうあるべき」みたいな期待が一切なかったので普通に血が出る戦闘シーンが出ただけでテンションが上がったのかもしれない。俺が観た回では年長〜小学校低学年くらいの男の子の親子連れが冒頭10分くらいで席を立って終了時まで帰ってこなかった。映画館で映画を観ている時に途中で席を立つ人がいるとなんかやばいものを観ている気分になるので嬉しい。
でもTVシリーズで仮面ライダー好きになった子どもにトラウマを植え付けるなよ庵野。

『拳闘士の顔にはかすかにとまどいが浮かんでいるが、恐怖はみじんもない。誰にも迷惑をかけたくないし人を待たせたくないから、言われればすぐにでも立ち上がる、そんな風に見える。もうすぐ自分の生命が危険にさらされるというのに。歪められ、変形した精悍な顔だちにはまた、軽い倦怠と、悟りに似た諦めがにじんでいる。"この世はすべてひとつの舞台、男も女もただ演じるのみ"。まったくうまいことを言う。しかし、シェイクスピアがこの文句をひねり出す二千年も前に、男はそのことに気づいていたのだ』

『拳闘士の休息』トム・ジョーンズ

まじりっけなしのピュアネスな暴力、暴力100%みたいな凄惨な惨殺シーンの後で、それをしでかした自分自身に戸惑う主人公。
「善人である登場人物がそうせざるを得なくて、敵に対してものすごく残酷な行動をして、その行動が呪いとなり、善人だった自分を貶めている」みたいなシチュエーションに燃えるタイプなので、容赦のない暴力、からの主人公の内省を畳みかける序盤の展開が無条件で好きになってしまった。
殺人を躊躇わなくなるバーサーカー化のスイッチみたいな形でマスクが使われているのも良かった。マスクを被ることで変身するヒーローといえば絶対に妥協しない男、『WATCHMEN』のロールシャッハの兄貴みたいでかっこいい。こっちもロングコートにマスクだし。

『WATCHMEN』のロールシャッハ

「マスクを被る、外す」という行為は劇中で何度か繰り返して行われ、それは主人公にとって「人間性を失う、取り戻す」ということ他ならない。後半になるにつれてそれと上手く共存できるようになるけど、個人的には「マスクを被って変身したらもう自分の残虐な行いを止められない」という不安定な所に惹きつけられた。善人がバーサーカーになるの、好き。『ゴールデンカムイ』の杉元が偽アイヌ村で暴れるところとかイーストウッドの『許されざる者』とか。「舐めてた相手が殺人マシーンだった」系ともちょっと違うんだけどなんだろうこの気持ち。善良な人格の中に嵐のような暴力が眠っていて、それが一度目覚めてしまったら絶対に周りの数人が残虐に死ぬ。みたいな。
変身を制御できるようになってからは仮面ライダー化とその暴力は「対話というステージにあがるための道具」として用いられて、最終的にはマスクの「人間性を失うための変身」が「人間性を取り戻すための変身」として真逆の使い方をするようになる。
最初の容赦のないかっこいい暴力から、ラストバトルのカッコ悪いガキの喧嘩のような泥臭い取っ組み合いになる。(マジでタックルと押さえつけが主な攻防)
「殺すための戦い方じゃなくなってる」って表現なんだろうけどホーリーランドのレスリングの人思い出した。レスリングはお互いにケガをさせることなく喧嘩ができるスポーツだみたいなことを言ってた気がする。

ホーリーランドのレスリングの人

仮面ライダーでありながら、なりふりかまわずダサくカッコ悪く取っ組み合う。
バーサーカーと化した怪人の一方的な殴殺から始まってようやくそこに至る。
要するに怪人が人間になる話だった。
2号のことも語りたいけどもう余白がない。

 そう、明日は戦にいかなきゃならない。黒い森のなかで哲人皇帝の軍勢と向き合って、恐ろしい大きな木の腕で遠くから燃え盛る火の玉を投げつけてくる連中に、虚勢をはらなきゃいけないだろう。知性も慎みもかけらもない、喉から発する、コトバであるべき音の連なりを、獣の咆哮にまで貶めた、そんな蛮族の唸りをあげなければならないだろう。

 セカイは、ぼくを、ぼくがそうありたいようには決してさせてくれない。

『セカイ、蛮族、ぼく。』伊藤計劃

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