『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』はガンギマり映画だった。(ネタバレ有り)
話題作だったので見た。昨年から存在は知っていて興味はあったけど微妙に日本公開が遅くて、こういう公開のズレって英語圏のムーブメントに乗り遅れてしまっている感じがするけど、アジア系俳優の「マルチバース&カンフー映画」ってゴリゴリのジャンル映画(そして、かなりカルト映画寄り)が、逆に「アカデミー賞最有力で大本命」みたいな看板背負って大々的に日本公開されるという不思議。
観ている最中はとにかく画面と物語から溢れてくる情報量に圧倒されるついて行くのに必死というかほぼ追いつけなかった。例えば「全世界のものをのっけたせいで超次元物質になったベーグル」がマクガフィンというかラスボスの主な行動原理になっているはずだったけども、このベーグルのブラックホールに入るとどうなるかとかあんまり理解できてない。
ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイクガイド』シリーズのどれかに宇宙の広さを体感させて人間の心を完全に破壊する拷問マシンみたいなのが出てきたけど、その機械は「ケーキと全宇宙を接続して〜」みたいな理由で作動させる仕組みにケーキ(だったような)使ってた気がするけどこの映画のベーグルはそれを思い出した。虚無的なものとふわふわした食べ物を組み合わせるギャグ?
ラスボスがはっきり何したいかいまいち掴みかねて「親からのプレッシャーのせいで精神破壊された結果行き着いたマルチバースにおいて、同時存在として生き続けることに絶望し、世界(母)を巻き込んだ自殺を企てた」とざっくり決めつけて観ていた。この部分がよく分かってないので、感動というか「映画の全容をまだ理解していない」段階にいる。ノーラン映画(「TENET」とか「インセプション」などの独自ルールがある系)を一回目観終わった時の感覚とだいたい同じで何回も観たらより一層理解が深まる映画だと思う。
SFっぽいアイディアとしてすごくいいなと思ったのがマルチバースの自分からスキルを持ってくる時の「ジャンプ台」という代償が必要になる設定。序盤のウェイモンドがカンフー習得するのにリップクリーム的な物いきなり食べたり机の裏についてるガム口に入れたり「一瞬で達人になれるが絶対に憧れないし真似したくない」加減のちょうど良さにグッとくる。複数の刺客が一斉に「ジャンプ台」行動し始めるのは笑えると同時にこんなくだらないのを真剣にやってる刺客達に心が熱くなった。ここら辺はちょっと少年漫画チックというか『うえきの法則』の「限定条件」を思い出した。
監督、脚本が完全にLSDがっつりキメて作ったんじゃないか?
またしてもマルチバースとサイケデリクスの相性の良さが証明された(MCUの「ドクターストレンジ」シリーズ然り)。時空間の伸縮と別世界にジャンプする感覚が映像に再現されている。別の世界に意識を「ジャンプ」してる時点でもうそれヤバいものキメてますよね。
特にマルチバースの自分の別人生のフラッシュバックが脳に流れ込んでくるあのイメージは、サイケデリクスのトリップ中に自分の記憶がランダム自動生成される過程をSF設定に置き換えたようなもので、この映画自体もマルチバースをトリップしつつ元の世界に帰ってくる話=主人公のエヴリン1人が何らかのサイケデリクスをキメてそれが抜けて通常の自分に戻るまでの精神世界へのトリップと強引に解釈できる。映画序盤の忘れ物届けにきた国税局の女性職員をグーパンするところも、周囲の人間の目が異様に気になりなぜか怖くなってくるトリップ中の「勘ぐり」にかなり近い。
こじつけかもしれないけどエヴリンとジョイがジャンプの果てに生物の進化がなかった世界で石になる場面。「stoned」「石になる」というのはドラッグをキメた状態、フラフラしているという意味のスラングなので、この状態がドラッグの酩酊によるものだという映画からのメッセージなんだよ。
トリップの果てに「気づき」を得て新しい自分を手に入れるガンギマッた映画だと思ったが、第3の目が開くとか本国ポスターもサイケデリクスアートっぽいし、そこは暗黙の了解なのか。個人的な感想なのでこの異様にガンギマりな雰囲気を英語圏の人はどう受け止めてるんだろう。
「今を生きながら同時に別の人生を追体験する」という演出の力強さと説得力に圧倒されるばかりであり、劇中で登場しているようにそれは「映画」自体にも当てはまる。