vol.5 みんな同じだった理由
合唱部の外見・服装のルール。
どんなのがあったかな、と思い出してみました。
校則はそんなに厳しい学校ではありませんでしたが、
合唱の大会や発表会では、服装に関して2つだけルールがありました。
1.スカートの長さを隣の人と合わせること
2.目立ちすぎる髪型をしないこと
すべては、「聴く人から見たときの統一感」。
それが理由でした。
その目的を共有し、この2つ以上の細かいルールはなし。
何をしたいかを共通にし、あとは自分で考える。
それは自律的な組織運営では、とっても大切なことだったなと思います。
ある大会で、とても目立つ髪型をしてきたメンバーがいました。
今はそういう時どうしているのか、とっても興味深いですが、
当時は「聴く人から見たときの統一感」が最優先。
すぐに直すように伝えたのを思い出します。
2つしかなかったルールも、よくよく考えれば歌には関係ないじゃないか。
そうも思います。
たった一人の髪型が少しばかり奇抜であったとしても、
歌のクオリティには支障はない、その自信はありました。
でも、同時に、
「統一感」を優先するそのルールは歌を大事にする理由だったようにも思います。
例えば、ボールプールをイメージします。
青いカラーボールがたくさんある中にたった一つだけ白があったら。
きっとそれが気になると思います。
なぜ白なのか。なぜ一つだけ入っているのかな。
混ざっちゃったのかな、とか。
カラフルなボールがたくさん入っていれば気にならないけれど、
たった一つだけ違うものが入っている、そうすると気になる。
わたしたちは、「似ているもの」に安心感を抱く生き物のようです。
電車で目の前に空席ができた時。
両脇が自分とかなり見た目の異なる人たちだったら、座りにくい、
そんな検証もされているとか。
つまり、「違うもの」に違和感を持つということ。
見た目を統一することって、その「安心感」を作り出しているのだと思います。
そして、
「本質以外に目が行かないようにすること」がその目的なのだと思います。
合唱部の場合は、
「歌以外のことに聞いている人の感心が行ってしまうことで、
歌に支障がないようにすること」。
このために、必要な最低限のルールだったんですよね。
もし、カラーボールのようにみんないろんな色であったのならば、気にならなかったのでしょう。
当時、高校生の合唱部は、
見た目上はほとんど青いカラーボール。
そこに一つだけ白だったら、やっぱり目立ってしまったのだと思います。
みんながカラーボールのように違ったら、
それはそれで当時とはまた違った歌が歌えたかもしれません。
結局、青でも白でもカラーでも、歌を届けたい思いは一緒。
見る人の安心感は重要だけれど、
頭の中にあるイメージと違うときに「らしくない」というのは
それこそ、部活の本質には関係ない話だな、と
当時、青いボールだった私は思うのでした。