三日月夜に溶けゆく想い #月刊撚り糸 (2021.12.7)

「入籍するの、もう少し延ばしてもらえないかな?」

真帆がぽつりと呟いた。

「どうして?」
「うん、だって私の誕生日と入籍記念日が同じ日だなんて、記念日がひとつ減っちゃうじゃない」

少しだけ、引き攣ったような笑みを浮かべた真帆は、目の前に置いてある婚姻届を裏返しにした。
もう、俺の分は記入済みの婚姻届。あとは真帆がサインをするだけだった。

「理由はそれだけ?」
「当たり前じゃない。他にどんな理由があるっていうのよ」

真帆の髪を撫でようと手を伸ばすと、真帆はさらりと俺を避けた。

左手の薬指には、俺のプレゼントした婚約指輪がはめてある。
その指には、いつものようにマスタード色のマニキュアが塗られていた。

「真帆は一途な女だと思う」

真帆は俺の目をまっすぐに見つめると、ゆっくりと首を横に振った。

「真帆、ごめん」
「なんで陽太が謝るのよ」
「ずっと前から気づいていたんだ。真帆には、俺以外の誰かがいること」

否定してほしいと願う気持ちと、認めてほしいと思う気持ちが交錯する。
真帆は、いつも自分の気持ちに正直な女だ。
俺のことも、相手の男のことも、選べないでいるんだろう。

「どうして、知らないふりをしていたの?」
「真帆が一途なのを知っているからだよ」

真帆の髪の毛に手を伸ばす。
今度は、俺から逃げなかった真帆。
俺をまっすぐに見据えると、俺の頬に手を伸ばしてきた。

「私もずっと前から知っていました。きっと陽太は、私の気持ちに気づいているって」
「そっか」

俺から離れた真帆は、薬指から婚約指輪を外すと、それをコトンとテーブルの上に置いた。

「罵ってほしい。最低な女だって」
「そんなこと、できるわけないよ」

真帆の瞳から、涙がひとしずく零れた。

「優しさなんていらない」
「真帆?」

真帆は立ち上がると、一度も振り返らずに部屋を出ていった。

置き去りにされた婚姻届を破り捨てると、俺は空に浮かぶ今にも折れてしまいそうな細い月を眺めた。


このシリーズは連作となっています。よろしければ上記マガジンよりお楽しみください。

2021.12.7

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#月刊撚り糸 #ずっと前から知っていました


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百瀬七海
いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。