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魔法の解けない午前0時

「もう、帰らなきゃ」

本当はまだ、帰りたくなんてないのに、康介の困った顔なんてみたくないから、笑顔で康介の腕を抜け出す。

「……もうそんな時間か」

決して私を引き止めたりしない康介は、壁掛け時計を見ると、煙草に火をつけた。

深夜0時まで、あと30分足らず。

お互い、一人暮らしの私たちに、本当は帰らなきゃいけない理由なんて存在しない。

それなのに、恋人じゃない私たちが、二人で日付変更線を越えるのはルール違反な気がしていた。

「……送ろうか?」

ブラウスのボタンを留めていると、康介が耳元で囁いてくる。
康介の右手から煙草を奪うと、それを灰皿に戻した。

「……大丈夫よ。馬車がカボチャに戻ったって、困らない距離なんだから」

康介と私のマンションは、道路を挟んでちょうど反対側。

「カボチャって、シンデレラか。……相変わらず、千咲は面白いこと言うな」

クスクスと笑った康介は、私の頭をぽんと撫でると、もう一口煙草を吸って、シャワールームへと消えていった。

送ろうかなんて、社交辞令。

私が帰るときですら、康介は見送りをしたことがない。

ふーっと溜め息を吐いて、外したピアスを手に取った。

そういえば、魔法の解けたシンデレラは、カボチャを抱えて帰ったのかしら?
シンデレラのガラスの靴は、どうして午前0時を過ぎても、魔法が解けなかったんだろう?

片方のピアスを耳につけると、もう片方のピアスを見つめた。

不思議な輝きに魅せられて買った、ムーンストーンのピアス。
康介がいつも、私の耳たぶを愛撫するときに外してくれる。

そもそも、シンデレラはどうして片方だけガラスの靴を置いていったの?
片方だけ履いてなんて、そっちの方が走りづらいのに。

女なんて、いつの時代もどんな世界でも、狡くて計算高いのかもしれない。

もう片方のピアスを枕の下に隠すと、急いで康介の部屋を後にした。


◇◇◇◇◇

どんなにゆっくり歩いても、日付が変わる前にたどり着く自分の部屋。
真っ暗な部屋の中に入ると、電気もつけずベッドに腰をおろす。

愛してるとか、そんな言葉が欲しいわけじゃない。

恋人という肩書きが欲しいわけでもない。

欲しいのは、たったひとつ。
康介の心。引きとめてくれる言葉。

部屋の時計が午前0時を告げると、片方だけのピアスを外しながら、部屋のあかりをつけた。

康介はもう、見つけてくれたかしら?
カボチャのように魔法の解けない、私のガラスの靴を。

熱いシャワーを浴びて、バスローブのまま冷蔵庫から白ワインを取り出す。
よく冷えたワインを、お気に入りのグラスに注ぐと、ソファーに腰をおろした。

康介の部屋を出てから、ちょうど一時間。

王子様には気づいてもらえない、内緒の片想い。

グラスに口をつけると、突然インターフォンが鳴り響いた。

こんな夜中に、誰?

一瞬浮かんだ康介の顔だったけれど、そんなことあり得るわけがない。
だって康介は、この部屋を知らない。
追いかけてくるはずがない。

持っていたグラスをテーブルの上に置くと、ゆっくりモニターへと近づいた。

そこに映し出された康介の顔を見て、すぐに受話器を手に取る。

「……どうして、ここが?」

「いいから、早く開けてくれ」

康介の切なげな声に、受話器を置いた私は急いで玄関の扉を開けた。

扉が開いた途端、康介に抱きしめられる。

康介はいつもしてくれるように、私の耳たぶを愛撫した。

「……ちょっと待って、」

「待てない」

愛撫を続ける康介は、ここが玄関だということも忘れて、私のバスローブを脱がせにかかる。

バタンと扉が閉まると同時に、私はバスローブを奪われた。

「……シンデレラは、魔法が解けると元の姿に戻るんだろ?」

康介は、軽々と私を抱き上げる。

「そうよ。馬車はカボチャに戻って、ドレスはみすぼらしい服に戻るの」

「……じゃあ、ガラスの靴は、どうして魔法が解けなかった?」

私と同じ疑問を康介が口にする。

「……そんなこと、わからないけど、」

「けど?」

康介は私をベッドにおろすと、いつもは外してくれるピアスを私の耳たぶにつけてくれた。

「きっと、ガラスの靴には、最初から魔法がかかってなかったのよ。女はいつだって狡いから、わざと残したんだわ」

もう片方、私が持ち帰ったピアスも、同じように耳たぶにつけてくれる。

「そうかもしれないな。シンデレラが合図を残してくれなきゃ、王子様だってシンデレラを見つけられるわけがない」

耳たぶに何度も触れた康介は、まだ康介の熱から覚めない私の身体に、キスを落としていく。

「……康介、待って、」

こんなの、シンデレラと違いすぎる。

「止めない。ってか、止めらんないだろ。やっと千咲の部屋、見つけられたのに」

康介は嬉しそうに笑うと、私を真っ直ぐ見下ろした。

「……捜しててくれたの?」

「あぁ、千咲、送らせてくれないから、千咲が出ていってからすぐ、あかりのつく部屋をずっと捜してた」

康介の唇に手を伸ばすと、康介は応えるように私の手に口づけた。

「千咲がわざとピアスを置いていってくれたから、確信が持てた。お前が俺を待っててくれるんだって。自惚れか?」

「……自惚れなんかじゃないよ、ずっと待ってた。魔法の解けない夜を」

fin

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百瀬七海
いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。