書けない時は、そっと言葉を見つめる
去年の1月からnoteを始め、今日まで1日も休まずにnoteで言葉を書いている。
小説のこともあれば、短歌や詩などかなり短いもののときもある。自分自身の備忘録を兼ねた、日記のようなときもある。
とにかく、毎日noteを開き、毎日言葉に向き合ってきた。
もちろん、すべてその日に書いたわけではない。基本的に下書きはほとんどしないので、下書きに溜まっているnoteはない。
その代わりにあるのは、自分が百瀬七海として書くことを始めてから、ずっと何かしら発信してきた言葉たちだ。現在もどこかで公開中のものもあれば、すでに非公開にしてしまったものなど、いろいろあるけれど、そのすべてが一度誰かが読んでくれたことのあるものだ。
だから、厳密に言えば、私は毎日更新しているわけではない。毎日、自分の言葉に向き合っているだけのこと。
昔綴った言葉を読み返し、表現や情景など、納得するような言葉か確認してから、公開している。
それすらできないときもある。
自分の書いた言葉を、選べないときもある。
毎日更新を今更辞めたくないとか、そういう気持ちはないのだけれど、書くことで自分と向き合うのが常なのだ。自分と向き合えないときは、言葉にも向き合えない。
言葉は自然に溢れ出すものだ。
美しいものをみたとき、美しいと口に出すように。
美味しいものを食べたとき、美味しいと頬が緩んでしまうときのように。
恋を失って、切なくて涙するときだって。
いつだって私たちは、溢れる想いを言葉にする。
だから本当は書けないときなんてないんだよ。
言葉は飾らなくたっていい。
溢れる感情に、そっと寄り添うように言葉を綴ればいい。
誰かを傷つける言葉は絶対にダメだけど、飾らずに伝えたい想いを、言葉にすればいい。
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