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24色で描いた私の原風景 #クリスマス金曜トワイライト
十数年ぶりに帰ってきた地元。
冬の太平洋の風は、あの頃と変わらず強かった。
冷たい風が、頬を突き刺す。寒さから逃れるように、赤いマフラーに顔を埋めた。
変わらないのはこの風だけで、あの頃逃げ込んだ漁師小屋はなくなっていた。
そもそも、本当にこの場所にあったのかどうかの記憶も危うい。
一生懸命に自転車を漕ぐ彼の背中は、決して大きくはなかった。
だけど、あの背中にしがみついていたときの私は、とても幸せで確かに彼に守られていた。
晴れ渡った空は、とても空気が澄んでいる。
会いたい。
あの頃の私たちに。
今のあなたに。
◇◇◇◇◇
母が怒りに任せて投げつけた小鍋は、私の頬をかすめ、部屋の窓を割った。
また始まる。
その地獄から逃れようと、私は青い豚の貯金箱を抱えて、部屋から飛び出る。靴を履く余裕なんてなかった。
「乗って!」
私に声をかけてきたのは、同じクラスの男の子だった。
口を聞いたことはない。クラスでも孤立している私に、居場所なんてなかったから。
だけど、今は彼の自転車に飛び乗るしか、選択肢はなかった。
少し遠慮がちに、彼の肩を掴む。彼は必死に自転車を漕いでくれた。ただの一度も、後ろを振り返らずに。
私は一度だけ、後ろを振り返った。母の怒りの形相を見て、私はもう二度と戻れないと思った。
「ごめんね。いつもは優しいんだけど。。」
最後に優しくされたのは、いつのことだっただろう。
新しい恋人ができたときだったかな。恋がうまくいっているときだけは、母は優しかった。
彼は何も答えずに、必死に自転車を漕ぎ続けた。どのくらいの時間、漕ぎ続けたのだろうか。空は少し星が見えてきた。夕方の空気は、とても冷たかった。
公園のゴミ箱にあった新聞紙を身体に巻き付けて、コンクリート管の中で身体を寄せ合う。
寒さでガタガタ震えていたけれど、誰かと身体を寄せ合うだけで、不安と絶望が少しだけ、和らいでいたような気がした。
「逃げよう。一緒に。。」
彼は、自分の置かれている状況をポツリポツリと話してくれた。
毒親に悩む私たちは、小さな手を取り合った。
青い豚の貯金箱を壊して、ホームセンターに立ち寄り、安い運動靴を手に入れる。
彼は、冷え切っていた私の足先をさすってくれた後、その運動靴を履かせてくれた。
夜から逃げるように、自転車を漕ぎ続ける彼。
南へ南へと。
彼の肩を掴む手に、もう遠慮はなかった。
◇◇◇◇◇
何日もかけて、いくつもの街も通り過ぎた。
夜は、誰も住んでいなそうな廃屋や漁師小屋を見つけて、新聞紙にくるまり、身体を寄せ合って寒さをしのいだ。天気のいい昼間は、海の見える公園の芝生で寝ることもあった。
「ねぇ。絵を描きたいな。。。」
昔から、絵を描くのが好きだった。
幼稚園の頃に買ってもらった色鉛筆は、もうすっかり短くなって、使い物にならなかった。最近書いていた絵は、鉛筆での真っ黒な絵ばかり。
彼の見つけてきてくれた木の棒で、砂浜に大きな家を書いた。大きな台所、大きなお風呂。テレビの中でしか見たことのないような、大きな家。どうすれば、幸せな家族になれるの?
私の何がいけないの?
「お腹減ったなぁ。。。」
ポツリと呟いた彼。
もう何日も、まともに食事をしていない。
青い豚の貯金箱の中身も、もうほとんど残されていない。あとどれだけ自転車を漕ぎ続けなければいけないのか、わからない。彼のお腹を満たしてあげられなくて、ごめんねと心の中で呟いた。
砂浜に描いた台所の横に、カレーライスを書く。ふたりでお皿を手にとったふりをして、「ムシャ、ムシャ」と食べるふりをした。カレーがこぼれないように、膝の上にハンカチをひくのを忘れなかった。
ふたつの小さな影が、砂浜に向かってまっすぐ伸びていく。二の腕のあたりがそっと触れる。
そのとき初めて、彼が男の子なんだと意識した。
「ねぇ。あとどのくらいかなぁ?」
彼は、答えてくれなかった。
実際に、わからなかったんだろう。今ここがどのあたりなのか、私にもわからなかったし、考えてしまったら、お互い不安に飲み込まれてしまうだけだろう。
別れの日は、すぐにやってきた。本当に突然に。
◇◇◇◇◇
ショッピングモール内にあるフードコート。
トイレに立ち寄るついでに、水分を補給しようと思っていたけれど、先にトイレを出た私の前に、制服を着た警察官がふたり、近寄ってくる。
「キミどこの小学校?黙ってちゃわからないだろ」
平日のこんな時間に、フードコート内に少し汚れた格好をしている小学生がいたから、通報されたのだろうか。
少しすると、もうひとり警察官がやってくる。
近くで食事をしている人たちも、何が起きているのかと、チラチラとこちらを見てきた。
しばらくすると、さらに数名の警察官が増え、もう逃げられないと思った。
彼がどうか、戻ってきませんように。
ただそれだけを願った。
せめて彼だけは、おばあちゃんの家に、無事に辿り着いてほしい。ほんの少しでもいい、今より幸せになってほしい。
警察官には、一切彼のことは話さなかった。
◇◇◇◇◇
それから私は、父方の祖父母の家へと引き取られた。
おばあちゃんに、欲しいものを尋ねられたとき、「24色の色鉛筆」と答えた。
辛くて流す涙は減った。
悲しくて流す涙も減った。
だけど、彼のことを思い出して、海を見ると涙が溢れてくる。
掴んだ肩の感触は、まだしっかりと覚えていた。
◇◇◇◇◇
彼と別れた日からずっと、私は絵を描き続けている。
美しい風景画のときもあれば、カレーライスのときもある。
幸せそうな家族が、リビングで団欒をしているときの絵もあった。
来月、この街で個展を開く。
彼と旅をした間に見た景色を描いた絵。
ふたりで見た景色は、心の中に色褪せることなく生き続けている。
逃げていた。だけど幸せだった。
もう私は、あの頃の私じゃない。
もしももう一度出会えたなら、「ありがとう」と伝えたい。
こちらの企画で参加しています。
追記
池松さん、クリスマス金曜トワイライト、4目も参加させていただきました。ありがとうございます。
池松さんの書かれた4本の小説の中から選んだ1作品をリライトするこちらの企画。
今まで同様、物語の見えない部分を、私なりに描きたいと思い、女性目線で参加させていただきました。
まだその想いが恋なのかどうかもわからずに、逃げ出した主人公。そして、彼女を守りたいという主人公の心情を池松さんの描かれた本編で読ませていただき、彼女はどんな想いで、彼の肩に掴まっていたんだろうと考えたとき、この彼女の未来が少し、見えたような気がしました。
恋とは呼ばなくても、ふたりの心の中で生き続ける景色が見えたような気がしました。
本編で主人公が彼女を想うように、すぐ近くで主人公を想う彼女が、どうか幸せでありますように。
池松さん、素敵な企画ありがとうございます。
2020.12.13
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