あなただけ、見つめてる #月刊撚り糸(2021.6.7)
たまには、花でも買って帰るか。
惹かれるように飛び込んだ、駅前の花屋。
店先には、色とりどりの花が咲いていて、つい目移りしてしまう。
真帆の誕生日。
その日、俺と真帆は籍を入れる。
「どのようなお花をお探しですか?」
店員が声をかけてくれる。
優しそうな若い女性で、どことなく雰囲気が真帆に似ていた。
「彼女に、たまには花でも贈ろうかと思って」
「素敵ですね。どんなイメージでお作りします?」
イメージなんて、全く考えてなかった。
店中をぐるりと見渡したけれど、真帆の好きな花なんて知らなかったし、好きな色だって知らない。
「花とか、よくわからなくて」
「お好きな色とかは? よく身につけている色とか?」
よく身につけている色か。
そういえば、ここ最近、真帆はマスタード色のマニキュアを塗っていたっけ。
そう、あの花のような。
入り口の近いところに置かれていた、ひまわりの花を指さした。
「ひまわりですね。素敵ですよね。そしたら、ひまわりをメインに、まとめさせていただきますね」
「お願いします」
テキパキとひまわり以外の花も選び、あっという間できた、小さな花束。
俺はそれを受け取ると、早く真帆に手渡したくて、急いで花屋を後にした。
◇◇◇◇◇
最近、真帆がやけに色っぽく感じる。
それは、あのマニキュアのせいだろうか。
そもそも、どうして急に真帆はマニキュアなんてするようになったんだろう。
保育士という仕事柄、普段真帆はマニキュアをしない。
するようになったのは、ここ1ヶ月くらいの話だ。
休みの前の日の夜、婚約指輪をしている左手の薬指から、丁寧に塗り始める。その表情は、どこか知らない女の横顔だった。
「珍しいね」って言っても、笑顔を見せるだけで、なぜか胸がざわつくばかり。
そういえば、真帆の部屋に行くのも久しぶりだな。
引っ越したばかりの頃は、何度か泊まらせてもらったけれど、今はなぜか俺が行くことを拒んでいるようにも思える。
もちろん、気にしすぎなだけかもしれないけれど。
真帆の部屋の前で、インターフォンを押そうとすると、不意に後ろに人影を感じた。
真帆かと思って振り向くと、見知らぬ男だった。
俺に向かって、軽く会釈をすると、その男は隣の部屋に入っていった。
隣の住人か。
そういえば、隣の部屋は男だって、真帆が言ってたっけ。
男が入っていったドアを少し見つめた後、俺は真帆の部屋のインターフォンを押した。
「どうしたの? 突然」
インターフォン越しにもわかる、驚いている真帆の声。
それは、決して喜んでいるわけじゃない。どちらかといえば、明らかに戸惑っているようにも思えた。
部屋の中に、誰か男でもいるんじゃないだろうか?
よぎるのは、よくないことばかり。
「いや、真帆に花をプレゼントしたくて」
そう言うと、すぐにドアが開けられた。
「来るなら、先に連絡して。まだ帰ってなかったら、ずっと外で待たせちゃうじゃない」
「ごめん」
真帆に、ひまわりの花束を渡す。
受け取った真帆の指を見つめると、今日もこのひまわりとよく似たマスタード色のマニキュアが今日も塗られていた。
「ありがとう、陽太」
「うん、入ってもいい?」
部屋の奥に、誰かいるような気配は感じられない。
さっきの不安は、きっと俺の考えすぎだ。
真帆が俺を裏切るはずなんてないんだ。
「ごめんね、これからちょっと約束があって、5分後に出かけるの」
「そうなんだ」
消えたはずの不安の塊は、さっきよりも色濃く、また胸を押しつぶしてくる。
「うん、ごめんね。明日私、休みだから、陽太の部屋で待ってるね」
「わかった。突然ごめん」
「ううん、こっちこそ、お花ありがとう」
真帆が俺を裏切るなんてこと、あるはずがない。
強く自分に言い聞かせる。
真帆が部屋に入るのを見届けると、俺はしばらくその場から真帆の部屋のドアを見つめていた。
5分後に出かけると言っていた真帆の部屋のドアは、開く気配が全くなかった。
そんなに広い部屋じゃない。
誰かが中にいたような気配は感じられなかった。
だったら、どうして真帆は出かけるなんて俺に嘘を吐いたんだろう?
それとももう、窓から出かけたんだろうか?
このシリーズは連作となっています。よろしければ上記マガジンよりお楽しみください。
2021.6.7
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