「また12年後にね」 遠い約束をした。
それは娘が中学2年生の頃。学校にはカゼで10日間休みますと伝えた。いかにも嘘くさい。
旅したのはプラハーウィーンーブダペスト。
フンデルトヴァッサーは異彩を放つ建築家だ。
彼の建物はこれとか。
これとか。
ウィーンで、初めて大好きな建築家フンデルトヴァッサーの建物にリアルに入った時は、血が湧き上がるほど興奮した。
ヒャッホーーーーと変な声がもれていたんじゃないか。
顔がにやけて、抑えきれない。
プチ・ガウディの賑わい。フンデルトヴァッサー・ハウス
今年(2024年)、ウィーンに12年ぶりに行くことができた。
もちろんフンデルトヴァッサー参りをする。
今回は、なんだかとても懐かしい感じ。 おかえりと言われているような。
12年前は全くひと気のなかったフンデルトヴァッサーハウスは、
あたたかな陽気もあってか、わさわさと人で溢れかえっていた。
なんだ、なんだ? 遠足でもあるの?
そういえばガウディのサグラダファミリア教会も、観光客が一気に増えたおかげで資金が潤い、完成が100年近く早まったという。
なんと来年には完成してしまうとか。未完のロマンが消えちゃうのね。
観光の資金力ってスゲーな。
次に、歩いて10分ほどの場所にあるクンストハウス・ウィーンに向かう。
途中、川沿いにこんなモニュメントも可愛い。
アート作品が並ぶクンストハウス・ウィーン
フンデルトヴァッサーハウスの賑わいとは反して、ここでは急に人がまばらになった。
さっきの場所は無料で外観が見れて、今も人が住んでいるマンション。アート小物とかのショップもある。
一方クンストハウス・ウィーンは、一部がフンデルトヴァッサーのミュージアムになっていて有料だ。
どうやら今のところガウディほど資金を集める力はないらしい。
ミュージアムには彼のさまざまなアート作品が展示されている。これがいいんだわ。
紹介したい写真がいっぱいあるけれど、話が進まなくなるのでいくつか。
そして・・・お気づきだろうか。
ん?日本語があちらこちらに・・!
ここ、ウィーンなんですよ?
そう。実は彼は日本に滞在していた時に、日本人アーチストの女性と結婚もしていたんです。それで、随所に日本語が出てくるわけ。
特に今回の発見は、彼の落款でした。
百水と日本語でサインや押印があちこちにされているのだけれど、
ドイツ語でフンデルト=百、ヴァッサー=水だったこと!!
そう。彼の名前そのものだったの!
そして豊和は、彼のファーストネームFriedensreich。
Friedens=平和、reich=豊か。
ちょっぴり厨二病っぽい(笑)。
彼の作品はエモーショナルで、自然との共生を大切にしてる。
床が波のようにうねっていたり、ガウディよりも私的な個性が光っていて、私は大好きだ。
1階でチケットを買い、2階3階と展示を見進めていき、
私の大好きな小さな作品群が4階にある。わくわく♪
2階と3階の建築をモチーフにした大きめのアートに比べ、
4階には日本語の漢字を取り込んだりとプライベート感のあるエモイ作品が並んでいる。
はがきやA4くらいまでの小さなサイズの中に、
たとえば雨という漢字の点がしずくになっていたり。
文字の間から、彼の感情が溢れ出ているような作品たち。
胸を高鳴らせながら階段へ行くと・・・。
ん? 4階へ向かう道が、テープで閉じられている。
階段の先は・・・
ええっ!? なんで?
一番楽しみにしていただけに、 私は混乱しました。
うろうろと周回。だけど、どこを探しても他に道はない。
どうしようもなく、とぼとぼと階段を降りていきました。
1階の入り口まで降りて、 チケットをチェックしていた女性に声をかけました。
「4階の作品が大好きで一番楽しみにしてたのに、なんで入れないんでしょう?」
「4階の作品は今ニュージーランドを回っているのよ」
「いつウィーンに戻ってくるんですか?また、見たくて」
「わからないわ。彼の作品は人気だから、世界中を常に回っているのよ」
「とても残念です。 私は日本人で、彼の4階の作品が大好きなの」
「そうなの!? 彼の奥さんは日本人だったのよ」
「知っています。本も持ってますから」
「彼の奥さんはね、今イタリアに住んでるの。 フンデルトヴァッサーは奥さんと別れた後も、奥さんのお家を作ってあげたりしていたの」
そうなんですね。
フンデルトヴァッサーに家を作ってもらえるって羨ましすぎる。
受付の彼女は、次々とフンデルトヴァッサーの思い出話を語ってくれる。
生前はここにもよく訪れたそうだ。
再会の、再会だった?!
彼女は言った。
「今回は見れなかったかもしれないけれど、また来ればいいじゃない」
「そうですね・・実は前回ここに来たのは12年前なの。
次はいつ来れるかわからないわ」
「12年前!? 私、ずっとここで働いてるの。
その頃もここにいてチケットをチェックしていたわよ」
「そうなの!?じゃあ私たち12年前も会っていたのかもしれないわね」
「そうね、そうね!きっと会っていたわ」
続けて彼女はさらりと言った。
「12年後もまたいらっしゃいよ。 私はきっとまだここにいるわ。
また会いましょうよ」
彼女の屈託のない笑顔を見ながら、遠い12年後に思いをめぐらせる。
12年後。 私はまたウィーンに行けるだろうか?
すでに高齢世代に入っている私にとって、 20時間近くかかるヨーロッパまでのフライト、重いスーツケース、そんな体力は残っているのか・・・自信はない。
なにより、私の母が亡くなった年は、
だいたい今の私から+12歳だ。
ため息が出る。
なんて人生は、あっという間なんだろう。
返事を迷った末に、私は彼女にこう答えた。
「ええ。またあなたに会いたいわ。12年後を楽しみにしてる」
遠い約束を、胸にしまって。
元気で長生きできますように。