刀ステ慈伝の考察してみた
※多少のネタバレも含みますので、自己責任でお読みください
先日、妹と観に行った舞台刀剣乱舞の千秋楽。
観劇後、SNSでは様々な考察が飛び交っていた。
この刀ステの本丸の物語が円環を抜けたのでは?という考察をしていた方がいたので、そこについて考えてみた。
その方は、キャストがエンディングで番傘を回していなかったことにふれていた。
たしかに、いままでは必ずくるくるしていたなぁ・・・と思った。
今回の作品ではそれがなかったので、わたしもそこは気になっていた。
その番傘を回していることが、円環を表していたのでは?ということなのだ。
それならば、なぜ回さなかった(円環を抜けた)のか。
それは、どんぐりを見つけたからではないか。
五虎退が、ずっと探していた大切なもの。
何を探しているか言えなかったのに、みんなががんばって探したもの。
大典太光世の力によって、カラスを追い払って見つけられたもの。
もし、五虎退が最初から『どんぐりを探している』と言っていたら
誰かが「そのうち見つかるさ」なんて言って、探していなかったら
大典太が力を使わなかったら
三日月の想いがこもったどんぐりは、見つからなかったかもしれない。
見つかったから、円環を抜けたのではないだろうか。
たくさんの考察を見るたびに、感心すると共に尊敬しております。
もちろん、これが正しいかはわかりませんが、思うことはひとつ。
もし、虚伝初演の本丸と、虚伝再演の本丸が、別々の道を辿っているのだとしても
どちらにも幸せが訪れてほしい。
また三日月に逢えることを願っています。