本来はこうあるはずなんだけど。。。
今日5月18日からバレンシア州全域で外出制限緩和のフェーズ1に入り、私が勤める店舗も今週半ばにはリオープンになりそうです。ただ、まだ労働時間の縮小があり、私の仕事復帰は週末になります。週末までの数日の間になんとか通常モードを取り戻さねばと少し焦っております。この「ノーマルを取り戻さねば問題」については、今までにもいろいろ書いてきました。↓
そして、「ニューノーマル」の前に「ノーマル」だよ!と思っている中で、なんだか”New ”とか「新しい」という言葉に違和感を感じてしまったりもしています。
リーマンショック後の大不況の頃から使われ始めた”New Normal”という言葉。今までではありえない異常な状態が当たり前のものになる、といった文脈で使われるこの言葉は、今回のパンデミックによる私たちの生活の変化を言い当てるにはドンピシャで、巷ではこの言葉(各国で言い方は違えど)を聞かない日はなく、スペインでももれなく”Nueva Normalidad”という言葉が使われています。
もちろん、この言葉の文脈はわかっているけれど、それにしても「新しい」ってなんだか違和感があるよね、と当初から思っていた私。今回のパンデミックで、半ば強いられる形で私たちの生活の変化が迫られているのは事実だけれど、本当はいつの時代も新しい変化は起きているはず。それが急なのかゆっくりなのかの違い。
それと、今まで当たり前だった「ノーマル」がなくなるわけではないはずで、例えば、マスクの着用やソーシャルディスタンスといった今現在の常識は、本来はノーマルではなく、ウイルスによる感染リスクがなくなるまでの「一時的な」ものだと思うのです。だって、スペイン人がマスクをつけるのも、ハグやキスで挨拶できないのも明らかにノーマルではないし、スペイン人に限らず、常に人との距離に気を使ったり、物に触れるのを躊躇したり、そんなの全くもってノーマルだとは言えない。
先日、エストニアの状況について(分かる範囲で)記事を書いたのですが、
この記事を書きながら、本来はこうあるはずなんだよね、と思ったのでした。というのは、エストニアでは”New Normal”という言葉は使わず、緊急事態が解除された後は”Stay healthy”キャンペーンという形で感染拡大を防ぐための呼びかけを続けているようなので、こんなふうに自然な形でやっていけたら理想だよなあ、と思った次第。。。
とはいえ、甚大な感染被害から極端なロックダウンがなされたスペインでは、もはや、自然な流れで、なんて悠長なことは言ってられないわけで、確実に今私が置かれている状況はノーマルとは程遠い。。。だからこそ、本当に自由に行動できるその日まで、本来の「ノーマル」という感覚を忘れずに、人間らしい健全なメンタリティを持ちながら、今起きている新しい変化にも軽やかに乗っていけたらいいな、と思ったのでした。
* 冒頭の写真は、自宅近所の広場の光景。ついにバレンシアでもテラス席がリオープンしました!本来は当たり前の風景も、今となってはちょっと感動となっている。。。ほんの少し通常に近づいた感じがして嬉しいです。