次女の宿命
夫が昭和に流行った歌の番組を観ていたので、私も一緒に観ることにした。
するとロス・インディオス&シルビアが登場して、『別れても好きな人』を歌い始めた。
私にはこの歌に苦い思い出がある。
以前も書いたが、私には3歳年上の姉がいる。妹や弟の立場の人ならわかると思うけれど、兄弟姉妹で下の立場の人間は、子どもの頃はやたらと理不尽な思いをすることが多い。
姉は歌や踊りが大好きだった。そしていつも私を巻き添えにした。
一番古い記憶はフィンガー5ごっこだ。
姉はタエコになりたがり、そして私は強制的にアキラのパートを任された。
母方のいとこ達の中では、5つ上の従兄に続いて姉が年長者だったので、祖父母の家に親族で集まった時は、その従兄がアキラとなり、姉がタエコ役を演じ、そして私はその他のいとこ達と共に、アキラとタエコが歌う後ろでぴょんぴょん跳ねる賑やかしの役に回された。
ピンクレディーが流行った時は、姉がミー、私がケイの役を任された。この時は特に不満はなかった。
けれどそのピンク・レディーも解散し、しばらく落ち着いたかと思ったら、彗星のごとく私達姉妹の前に現れたのが、ロス・インディオス&シルビアだった。
当然姉はシルビアになりたがり、私は隣で歌っているおじさんの役にさせられた。(調べてみると、棚橋静雄さんという方だったのね。)
フィンガー5のアキラはまだ受け入れられた。そしてピンクレディーのケイちゃんも受け入れられたのだが、おじさん役を務めるのは、当時小学生の私にはとても屈辱的だった。
しかもサビの♪わ~か~れても~の時の鼻から抜けるような声の出し方まで強要された。
彼らのヒット曲には『コモエスタ赤坂』もあるのだが、姉は『別れても好きな人』の方が好きなようだった。事あるごとにシルビアを演じ歌い上げてはうっとりしていたのだが、その度に私は隣に立たされ、鼻に抜けた歌い方のおじさん役を任されてモヤモヤしていた。
懐かしい歌って、聞くと当時の思い出があれこれ蘇ってくるもの。
きっと私はこれからも、『別れても好きな人』を聴く度に、なんとなくせつない子ども時代の思い出が蘇ってくるんだろうな。