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岡山新報デジタル【慰安婦問題の元凶】

●吉田清治10

吉田証言

1993年(平成5年)5月、それに対し慰安婦制度を批判している吉見義明が吉田を訪ね積極的に反論するよう勧めたが、吉田は「日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるのでできない」としたうえで「回想には地名を変えた場合もある」と発言したため、吉田の回想は証言としては使えないことを吉見は確認した。

こうして、吉田本人も地名等について事実と変えた部分があることを認め、その後も真正な具体的内容については明かしていないため、「吉田証言」は歴史証言としては採用できないとしている。

吉見義明と一緒に吉田と会談した上杉聰(日本の戦争責任資料センター事務局長)も「吉田証言」は歴史証言としては採用できないとしているものの、そのニュアンスはやや違い、1997年3月25日「教科書に真実と自由を」連絡会の記者会見で、1993年尹貞玉が済州島で一人の被害者と思われる者を見つけたが周囲からの説得と制止で証言がとれなかったという。
これについて、秦は、この女性が吉田の慰安婦狩りの該当者だったのかを含め要点がはっきりしないと主張している。

#吉田清治10

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