雨の日にはキャンディを
それが、雅巳なりの駄洒落だと気づく頃には、もう遅かった。
雨が降りそうな日、雅巳はいつもキャンディを僕に差し出した。
「もう直ぐ降るから」
なんで用意しているんだよ、とか、折り畳み傘の一つでも出してくれたらいいんじゃないの、とか、言いたいことは山ほどあるけれど、全部飲み込んで差し出されたキャンディを受け取った。見慣れた棒付きキャンディ。乱暴にフィルムを剥いて口に含めば、人工的なグレープの味が広がった。
すん、と鼻を鳴らして空の匂いを嗅ぐ。降り出す前の雨の匂いはよくわからない。数時間前までは晴れていたせいか、焼けたアスファルトの匂いが少しだけする。
「夜鷹は、いつまで経っても子供だな」
ぐしゃぐしゃと僕の頭を撫で回しながら、雅巳が言った。
子供なんかじゃない。もう十分大人だ。ひとりでの通学も、買い物も、へっちゃら。本当は雨の日だってもう怖くない。だんだんと暗くなる空に泣き出したあの頃の僕は、もういないのだ。キャンディだって、本当は必要ない。きっと、わかっている。わかるはずなのに、雅巳は僕を子供扱いする。子供でいて欲しいから。そんなエゴのために。僕もわかっていて、それを受け取る。だってもう大人だから。そんな小さなこと、気にしない。
ポツポツと降り出した雨を見ながら、歪な球体になったキャンディを口の中で転がす。
「すぐに止むかな」
「どうだろう」
きっと通り雨だろうさ、と雅巳が言った。
本当は知っている。この雨が、明日の朝まで降り続くことを。今朝、天気予報で見たのだ。だけれど、そんなこと口に出さない。口に出す、素直な子供はもう卒業したから。きっと雅巳も知っている。だってキャンディを持ってきていたから。知らないわけがないのだ。
だけれど、僕らは知らないふりをする。今日の天気予報も、互いが隠している感情も。
だって、僕も雅巳もまだ子供だから。この感情の受け止め方がわからないのだ。
(今日読んでいたビジネス書の一部「雨が降りそうだ、だから私はキャンディを舐める」がとても印象的だったので、本日のお題に。悪例が想像力豊かな文章とはいったい何事)