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ふくしまの、まちをつくる人たち #10

いちご家族 太田啓詩 -Ohta Keishi-

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1.いちご家族として生きる。

 福島県鏡石町に今年11月の初出荷をめざすいちご農家「いちご家族」があります。

いちご家族の代表の太田さんはもともと鏡石町の出身。大学進学を機に地元を離れ、その後は製薬会社に就職し関西方面でMRとして順調にキャリアを歩んでいました。

福島に戻ってくるつもりはなかったという太田さんに転機が訪れたのは2011年3月11日、故郷を襲った東日本大震災でした。

「地元では同世代の人たちが必死で頑張っているのに、自分は遠くから傍観しているだけでいいのだろうか?」

歯がゆい思いに駆られた太田さんは自ら志願し勤めていた会社の福島支社へ転勤。福島市で数年間MRとして働きながら自身のキャリアや福島で生まれた息子さんを育てる環境について考えているうちに、故郷である鏡石町に根ざし「守っていく生き方」が選択肢として思い浮かんだと言います。

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「会社を辞めずに福島に留まることはキャリアを諦めることを意味するし、他の会社に転職をするのも妥協になってしまう。前職が本当に好きだったし、他の仕事をやるにしても全力を尽くしたかった。」

そう考えた太田さんは個人事業主として生計を立てることを決意。

曾祖父の代からある豊かな土地を守り継いでいきながら、事業として成り立つものを探しいちごに辿り着いたそう。とは言え農業の経験はなかった太田さんは、須賀川市の「おざわ農園」に飛び込みで弟子入り。まずはMRとして働きながら1年通い詰めて、自分の適正と事業としてポテンシャルを見極め、その後会社を辞めてからさらに1年研修し、今年の6月に独立を果たしました。

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MRから農家へ全く違う職業に転身した太田さんですが、仕事に対する考え方や捉え方はほとんど変わっていないのだそう。

「会社にいた頃のノウハウはすごく活きてるし、それがなかったら、今こうしてやっていけてないと思います。」

と太田さんが話すように、確かにその独立までの歩みからはロジカルで緻密な計画性がうかがえます。

自己資金、融資、補助金、クラウドファンディングで資金をまかない、取材時は建設したてのハウスにいちごの苗を植えている最中でした。

「自分の子供にもためらいなく食べさせられる安全で美味しいいちごを届けたい。」

太田さんは前職のMRで培った薬品の知識を活かし、成分を考慮しながら農薬の種類や量を自分で選び取っています。適切な薬を適切な時期に使うことによって農薬の量を最小限にし、費用対効果や消費者の需要を考えつつ安全ないちごの生産を目指しています。

2.顔の見える関係性の中で。

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「自分の大事な物を自分の見える範囲で売りたい」

と話す太田さん。今後の販路についても、大きな市場に出すやり方ではなく、自身で経営する敷地内の直売所と、贈答用の個人向け発注だけで売り切ることが目標だとか。

決して広い作付け面積ではないからこそ『いちご家族のいちご』の付加価値を上げるために、生産課程のストーリーや梱包も含めて見えるところをしっかりブランディング。

将来的にはハウスがある敷地内に直営のCaféを作ったり、植生が豊かな林でお客さんにキャンプを楽しんで貰ったり、いちごやそこを訪れること自体に価値が生まれるようなコンテンツを用意する計画もあるのだとか。

「いちごもお客さんも家族だと思っています。いちごを通してたくさんの素敵な出会いがあるといいです。」

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どのエピソードからも強く感じたのは、太田さんの強い意志や根拠のある自信でした。太田さんが、仕事も家族も地元も”守る”生き方とし、辿りついた答えが、”いちご家族”なのです。

そんな太田さんの分身のような、想いがつまったいちご達。初出荷が待ち遠しいのはもちろんですが、その過程からも目が離せませんね!

ライター:関根優花

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