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ある一編の詩/本当のこと

中学の頃、学校の帰り道の本屋さんにて
何気なく手にとった一冊の本。

深緑の椅子が描かれた絵が表紙。
タイトルは「ただそれだけ」

その中に記されたある詩一編の詩。

中学生だった私は、この詩の言葉にふれたとき
「本当のことを知れた。」と思ったのです。

ところで、本当のことってなんだろう?

現実に起きている出来事が全て本当のことではあるけど、心が動かされて自分の内側の世界が広がるとき、私はどんな目に見えるものより、本当のことを知れたと思うような気持ちになります。

本当のことは、確実にその人の魂に触れ、その人にとっての生きる原動力にもなっているような。

その詩の詳しい内容も言葉も忘れてしまったのですが、読んだ後の感覚だけが残り、大人なった時、あの本をもう一度読みたいと居ても立ってもいられなくなり、絶版になっていたのですが、インターネットの海の中で、その詩を無事に見つけることができました。

そして、それから人生で2回
この詩を朗読をすることに。

またどこかで朗読ができたら嬉しいな。
最後にその詩を載せておこうと思います。

「招待」
~ オライア・マウンテン・ドリーマー
(ネイティブアメリカンの長老)の詩 ~

あなたが生活のために何をしているかは、どうでもいいことです。私は、あなたが何に憧れ、どんな夢に挑戦するのかを知りたいと思います。

あなたが何歳かということも関係のないことですあなたが、愛や夢や冒険のためにどれだけ自分を賭けることができるのか知りたいのです。

あなたがどの星座に生まれたかということもどうでもいいことです。

あなたが本当に深い悲しみを知っているか、人生の裏切りにさらされたことがあるか、それによって傷つくのが怖いばかりに心を閉ざしてしまっていないかを知りたいのです。

あなたが自分のものであれ、人のものであれ、痛みを無視したり、簡単に片づけたりせずに、それを自分のものとして受け止めているかどうかを知りたいのです。

また、喜びの時には、それが私のものであれ、あなたのものであれ、心から夢中になって踊り、恍惚感に身をゆだねることができるかを知りたいのです。

気をつけろとか、現実的になれとか、たいしたことはないさなどと言わずに。

私は、あなたの話すことが本当かどうかには関心がありません。

私はあなたが自分自身に正直であるためには、他人を失望させることでさえ あえてできるかどうかを知りたいのです。

たとえ裏切りだと責められても、自分自身の魂を裏切るよりはその非難に耐えうる方を選ぶことができるかどうかを。

たとえ不実だと言われても、そんなときにあなたがどうするかによって、あなたという人が信頼に値するかどうかを知りたいのです。

私は、あなたが本当の美がわかるかを知りたいのです。

それが見た目に美しく見えない時でも、毎日そこから本当に美しいものを人生に汲み上げることができるかどうかを。

私は、あなたがたとえ失敗しても、それを受け止めて共に生きることができるかどうか、それでも湖の縁に立ち、銀色の輝く満月に向かってYesと叫ぶことができるかどうかを知りたいのです。

あなたがどこに住んでいるか、どれだけお金があるかはどうでもいいことです。

それよりも、あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ、どんなに疲れ果てていても、また朝が来れば起き上がり、子どもたちを食べさせるためにしなければならないことをするかどうかを知りたいのです。

あなたが誰を知っているか、あなたがどうしてここへ来たかは関係ありません。

私とともに決して怯まずに炎の只中に立つことができるかどうかが知りたいのです。

あなたがどこで、何を、誰と勉強したかはどうでもいいことです。

私が知りたいのは、皆が見捨ててたった一人になったとき、あなたの内側からあなたを支えるものは何かということです。

私はあなたが自分自身としっかり向き合い、その何もない時間の中にいる自分を心から愛しているのかどうかを知りたいと思っているのです。

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