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たしなむ、という生き方
いかにもその方らしい
描いた風景を年に一、二度
絵はがきにして送ってくれる方がいます。
外国の清しい、雑木林。
ひとの温もりで曇っている、カフェ。
ポツンと一輪挿しのある、窓辺。
など、そのときどきに立ち寄られた場所が描かれている。
これが、いかにもその方らしい。
興味のあることをほどよく楽しんでいるスケッチ。
うまいヘタには頓着なく、たしなむって感じなのです。
勝手に楽しませてもらって
例えば描かれた雑木林は、いさぎよく枯れていて。
たったいまその向こうの道を、
葬列から離れた霊柩車がおごそかに去っていく……
なんて心に浮かべてみたくなる。
例えば描かれたカフェは、親しさで混みあっていて。
満足気な三人連れが会計をしている横から、
新たに入ってきたカップルが店主と陽気に挨拶……
なんて妄想に耽けりたくなる。
例えば描かれた窓辺は、可憐さが漂っていて。
老いた出会いのような、若い別れのような、
いずれにしろ、ひかえめな物語がはじまる……
なんてシーンをふくらませたくなる。
それぞれのスケッチを、
そんなぐあいに勝手に楽しませてもらっています。
こんな絵とのつき合い方も、いいんじゃないかなと。
たしなむって、魅力的な生き方だなぁ
絵はがきをいただくたびにそう思います。
僕にはいない兄貴のようなつきあいをしてくださるのですが、
その方らしい絵の、その目のつけどころに共感してしまう。
たしなむ、の意味は「好んで親しむ」。
見苦しくないように
軽はずみにならないように
度を過ごさないように、好きなことに親しんでいくこと。
マイペースの素敵な方と触れ合うと、
自分のペースはまだまだだなあって、背筋が伸びます。
文を、たしなむ……
そういう言い方、なんか響きがいいですね。
言葉との出会いに心をはずませながら、
気くばりのできる大人の方が書くことを楽しんでいる感じ。
有名になりたいとか、お金を稼ごうとか、には
まるで心を奪われることもなく。
たまたま出会えたコトや、触れ合えたモノの感じを、
誰かにわかち合いたくて、ただ書いている。
その誰かって、たぶんそんなに多くはいない。
でも生きていくにはそれで充分。
数じゃないんですよね。
そのひとの「品」
ひとの値打ちって、見かけより品質だそうです。
心に響く文が書けるというのは、
世の中から一目置かれる品質ではないのかな。
品質は、「品」と「質」の組み合わせです。
「品」は、ひとやモノにそなわっている味わい。
「質」は、「たち」とも読む生まれつきの気質。
高価なモノを着けているのにかえって卑しさを感じさせる、
そんなひとをテレビなんかで見うけます。
「品」がない、というか
モノで「品」をぶらさげようとしている。
外をいくら飾り立てても身に着かない、
どこか内から湧き上がってくるのが「品」というものなのに。
「口」が三つで、「品」
口で話す内容がとっても大事だからです、たぶんだけど(笑)。
でもたしかに、その話のなかの考えや感じ方に
そのひとの「品」の良さ悪さが出ると思うのです。
どんなふうに感じ、どう考えて生きているのか。
どういう気持ちで、ひとと向き合っているのか。
「品」は、あなたの書いた文にも見え隠れします。
木綿のような文
風にゆれるTシャツのように
自然体の何気ない言葉が連なっている。
なのに読んでいると味わいを覚える。
書いたひとの「品」につつまれてしまうんですね。
素のままに、
背のびしない想いを、
あなたらしく、
書いていくところに
「品」というものは宿るからですかね。
生き方がすこしずつ
文を書こうとする方が
たしなむ、という思いを身につけていたら
その魅力はさらに深まっていく気がします。
「ええ、書くことが好きなので…」
といった、つつましさがその文に見えていそうです。
そのときどきの人生の時間をつかまえて、
そのときどきの人生の空間にひたりながら、
書くことに親しんでいると
生き方がすこしずつ、洗練されていくと思うのです。