春、麗かに
生きるということは、私にとってはただ息をしていることと同義ではない。何かに心が動かされ、感情が揺さぶられているとき、私はまさに生きていると感じる。
私はいわゆる一般事務職に就く田舎のOLで、今は仕事にも慣れて毎日変わらない業務の流れに身を委ねている。時折嫌な態度をとる人に悩まされ、いつの間にか終わる一日を繰り返し続けている人生への虚無感が常に隣り合わせにあった。
勿論相応のお給料を貰える事に感謝しているし、他に秀でた事ができる訳でもなく、この仕事から逃れられるわけでもないし、どうにもできない。そしてそれを考える事すらも面倒でやめていた。
コロナが流行りだす前は、数ヶ月毎の休みに東京によく大きなイベントに出かけたりして、友人とおいしいご飯を食べたりしていたが、それらの行為は私に単純に今日まで生きてよかったと再確認するためでもあった。
この淡々と過ごす日常を上回る幸福感を得ることで、私の調律は行われていたと思う。しかし自粛生活によって次第それらは難しくなり、毎日が更に重いものになっていった。
そんな中、一人の友人と再会を果たした。小学校からの幼馴染である彼女は、現在フリーランスで拠点を地元へ移していた。数年間会っていなかった彼女について、私はてっきり県外へ出たままだと思っていたので目と鼻の先にある彼女の実家に、彼女が暮らす事実がなんだか嬉しかった。コロナ禍ですっかり在宅勤務になっていた彼女と久しぶりに話した日、感染拡大が落ち着いてきた頃だったので近くの公園へ行った。数年振りに訪れたこの公園はとても綺麗に整備されていて、元々敷地は広かったが10キロにも及ぶウォーキングコースまでもが設けられていて、私たちはそのコースを少しずつ歩き始めた。それからというもの、ちょこちょこ平日の夜にウォーキングに出かけるようになった。
10キロのウォーキングは約2時間、現在から過去まで根掘り葉掘りどこまで掘り下げても話が尽きることはなかった。
その中で、私の仕事に対する虚無感の話を聞いた彼女が私に伝えてくれた事がある。
「私はどう頑張っても定時でじっとしていられないから、それが出来るという事自体が既にあなたの凄いところだよ。そこの土台がもう固まっているのは凄い。」と。そんなものかなあとあまり実感が無かった。そして逆に彼女が時間に縛られる事が出来ないが為に落ち込んだりと悩んでいる時に私は、時間を縛られていなくても働けている事は私には出来ないから凄い事だと言っていた。そしてお互いがそれぞれ、出来る事と出来ない事がある事に対して、自分を卑下した見方をしてしまっていたのだと気が付いた。それは反対側から見ると、全く落ち込む必要の無い事だったのだ。
重くしている正体はまさに自分だと気が付いたのだ。
この考え方は今に始まった事ではないので、中々意識は変えられないが、それから私は無理矢理にでも「日中働けて偉い!」という日本人の大半が当たり前にこなしている事に対しても自分を幾度となく褒めてみた。すると、本当に単純だけど、なんだか心が少し軽くなったのだ。心の重りは自分で増やしていたから、自分で外せるのかなと思った。
私は自分に対して高いハードルを掲げ過ぎていた。私はいつも勝手に落ち込んでしまう、なら勝手に凄い励ましてみよう。
そうした事によって心の余裕が出来たのか、最近では帰宅後の空いた時間に虚無感に襲われる事は減り、逆に日中も帰ったら何をしようかなとワクワクしている事が増えた。そして次第に仕事にもメリハリがついてきた。
しかしワクワクしたまま家に帰って、あぁやっぱり以前と変わらず疲れて何もせずに眠ってしまう時も相変わらずある。そうして次の日も落ち込み、なんて私は生き辛いのだろうとまだまだ思う日も少なくない。でもこの気持ちに関しても”私はそう思ってしまう”のだから仕方ないのだと思える様になってきた。そう思う事実は変えられないままでも、そこからまた違った見方も身につける事が出来るはずなのだ。疲れて寝ねてしまう日もそれはそれで良しと、許せたのだ。
そしてそんな時、noteの企画が目に入ってきた。
資生堂hand in project と note。この春始めたいことについてタグをつけての投稿を募集すると。しかもこの関連タグが付いた投稿をスキやシェアすると1アクション10円が資生堂から医療現場へ寄付されるという最高の企画だった。
春の陽気に包まれ、柔らかい風を感じ始める季節、気持ちも前向きになって来た矢先。そんなときに「 #この春始めたいこと 」を考えるのは今の私にとってぴったりだった。
私のこの春にやりたいことは、まず第一はこの企画noteについてを描く事だった。少し自分の気持ちを整理することが出来る気がして。そして遂にギリギリの投稿に間に合いそうだ。
そしてもう一つは、絵を描くこと。
もう何年も書いていないし、別にうまくもない。ただ昔は絵を描くことが好きだったなぁと思いだして、なんだか描いてみたいと最近思いはじめたのだ。今このタイミングで始められそうだ。上手い下手とかではなくて、描いてみたいから描いてみるでも良い気がしたのは初めてだった。毎日少しずつ、何かを描ければ良いなと思っている。そしてそれだけでも私は今、ワクワクしているのだ。
つまり、生きていると感じる事ができているのだ。
こんなにゆっくりと過ごす毎日の中でも、生きている事を感じられる様になったのは彼女のおかげだろう。様々な人とコミニケーションが取り辛い時期だったからこそ、自分以外の視点を通して自分と向き合えた気がする。
塞ぎ込んでいた窓が少しずつ開いて、そこから春の光が差し込んでいる。
卑下しがちだった自分をすこしずつ好きになれるように、これからも毎日をわくわくしながら、そんな自分でも良いよって褒めちぎりながら、明日も生きたいと思う。
あと、実は小説も描いてみたい。そんなに贅沢に考えて、夏になるかもしれないし冬になるかもしれないけれど、この春始めたいと思った事は、ずっとしていきたい事だろう。誰がみる訳でも無しでも、私がしたいから良しなのだろう。勿論他人に迷惑が掛からない範囲で、私たちはとても自由に生きる事が出来るのだ。
今年の春はいつもより暖かい気がする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?