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自粛中の出社で感じたこと

「声のみ」で感情を拾う難しさ

 今週は月、火、水の3日間出社しての業務だった。会社に行かないとできない仕事だっため仕方がない。一方でほとんどのチームメートは在宅勤務だったため、1日でも何度となく電話による会議があった。セキュリティに厳しい業界上といえばいいのか、いわゆるZoomのようなものは導入されていないため、全ては「声のみ」で相手と向き合わなくてはならない。相手の表情が見えない、相槌を打ってくれているのかもわからない(打っていてもウンウンという人とそうでない人がいる)、提案に同意方向な雰囲気なのか、完全アウェーなのにも関わらず一人喋り続けているのかもわからない。とにかく相手の「雰囲気」が声だけでは感情を拾えないもどかしさがあった。

集中力が上がる

 そうはいいながらも仕事は進めなくてはならず、何度となく話を止めて間合いを取ってみた。3日経った今日に至っては「この声のトーンだと厳し目かな」とか、「もうどっちでもいい感じになってるな」とか、徐々に”見えない声のオーラ”のようなものを感じるようになっていた。そして自分自身も「なんとか声だけでもしっかり伝わるようにしていこう」、「相手の言いたいことを理解していこう」と、相手に寄り添おうとする”集中力”が増していた。テーブルを囲んで相手の顔が見える状態で開催されていた会議よりも、むしろ相手を理解しようとしていた感覚だった。

会えないからこその言葉選び

 話し相手が直接目の前にいると、ついつい本題ではなく相手から受ける「態度」や「言い方」に対してカチンとなってしまい、つまらないことでヒートアップし、結局結論は出ず「何だったんだっけ、この会議」となることは、どこの企業でもあると思う。けれど、今は会いたくても会えないのが”ちょっと寂しい”という、ちょっとしたホームシックならぬオフィスシック?(というのが正しいかはわからないが)に近い感情さえ湧いていて、電話会議をしながらも「なんだか寂しいなあ」と思ってしまう自分がいた。

 今日は1ヶ月半ぶりにある同僚と会い感動の再会をしながら、オフィスに集い、人と会話し仕事をすることがこんなに尊いものだったのかという感情さえ湧いた。また次にいつ会えるかわからない状況だからこそ、電話でのコミュニケーションはより言葉選びにも注意を払う。”表情が見えない相手と何とか相互理解する”ためは、”言葉のチョイスも慎重にする”は不可欠だ。それは普段あまり意識してこなかったが相手へのリスペクトでもあり、仕事を円滑に回す手段の1つである。何より、それをすることで「自分自身」が穏やかでいられる。

 自分がオフィスで感じたことを、今度は自宅側から気持ちよく仕事ができるように「会話」を楽しんで仕事に臨みたい。

 明日からまた、しばらく在宅勤務が始まる。


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