
はるにジェラシー?!
大晦日から元旦にかけて、全然眠れなかったのに、眠くもなく元気すぎた私は、元旦朝一番の「天外者」を見にいった。
2021年1回目の「天外者」。新年にふさわしく、新しい感覚があった。
それは・・・
私は、「五代才助」に恋をしているようなのだ。
才助とはるが2度目に会うシーン。
「遊女だって夢くらい見たっていいだろう。本が読みたいんだ。世の中を知りたいんだ。」といっているはるを、遠くから見ている才助の表情。
橋の上で初めて会ったあの時、もしかしたら命を粗末にしようとしていたかもしれないけれど、「世の中を知りたい」・・・本当はそんな事を思っていたなんて、ということを一瞬の間、顔だけで見せてくれる。
何度も見てるのに、その表情に胸がグッときて、泣きそうになった。
さすが、表情だけですべてを表現をできる才助、いや三浦春馬。
その後のはるとの関係は、言わずもがな、ですが。
才助が簪を買いに行くシーンが近づくにつれて、今までと何やら違う感情が沸いていることに気が付いた。
簪を選んでいる時の才助の嬉しそうな表情、それなのにちょっとぶっきらぼうに渡す才助、簪を贈られて嬉しいと泣くはる。
そして、誰もが夢を見れるような国を作ってやると、はると才助の約束。
この先の二人の悲しい未来を考えると、ここはとても温かく幸せで、好きなシーンのはずなのに。
なのに、なのに、なんだろう?
いつもと同じシーンなのに、見てるうちに、胸がグッとして、また泣きたくなってきた。なんかもう、とてつもなく切ない。
想い合っているのに、離ればなれになってしまう二人の未来を思って切ないわけでは、どうも・・・ない気がする。
私自身の切なさというのか、これはジェラシーかも?
病床に伏したはるとようやく会えた時の「探した、イギリス中探した」という短いセリフの中に見える優しさと、手の美しさ。
ここではさすがに辛くなるのだけれど、そんなに愛されたはるを羨ましいとさえ思ってしまう。
私自身も感情が動きすぎて、どの目線で見ているのか、よくわからなくなる始末・・・
春馬くんが全力を注いだ演技を見たくて、春馬くんを大きなスクリーンで見たくて、何度も映画館に足を運んでいるけれど。
いつの間にか私は三浦春馬を飛び越えて、「五代才助」に恋をしてしまっているのだろうか。
「どうした、私?!」と思ったが、春馬くんや俳優さんたちにしてみたら、「してやったり!」と思うことなのかもしれない。
それに反して、豊子とのシーンは、話すシーンは多くはないけれど、心を通わせた夫婦を感じられて安心していられる。
水墨画を一緒に描くシーンは、とても綺麗で素敵だ。真剣なのに、「素」のような優しい表情が見える。
「(水墨画をかくことを)続けよう」、実家の母上様との対面後「(咳込んだ後の)俺から離れろ」などと、豊子と交わす言葉は、とても少なく短いけれど全てが優しいのだ。
ここにジェラシーはない。
そして終盤の、町の中で二人が視線を交わし、微笑みあうシーンも、美しく幸せな感じただよっていて、その笑顔が胸をうつ。
ちょっとばかり欲を言えば、町でのいざこざ後の平手打ちから、豊子とどんな風に結婚まで至ったのか、知りたかった。(そうしたら、またジェラシー出るかも?)
寝ていなかったからテンションがおかしくなってるのかとも思っていたけれど、今日も思い返すのは、はるや豊子とのシーンばかり。
みんなですき焼きを囲むシーンや、龍馬との語らい、殺陣のシーンなども好きなのに、昨日からあまり思い出さない。
それどころか、今はハットをかぶった友厚ではなく、才助が頭から離れないのだ!
これは間違いなく恋心?
さあ、この気持ちを確かめるために、まだまだ五代才助に会いに行かねば。