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男の子は母親の愛を疑わない
私の娘は今6歳で今年小学生という年。
それに加え、弟は現在4歳で年少の年。
毎朝同じ保育園に送りに行くのが私の仕事前のルーティーン。
しかし、最近保育園でバイバイするときに娘が泣くようになったのだ。
元々二人とも甘えん坊でいっつもベタベタくっついてくる二人。
夜ご飯の後にソファでほっとすると、私の膝の上を取り合いするほど
甘えられる時間を取り合う。
お別れの際に泣くようになった理由を本人に聞いたってわからない。
そりゃあそうだよ、だって本人だって理由はわかっていないのだから、、
私は甘えさせられる時間なんて本当に短いのだから目一杯の甘えん坊でいいと思っている。きっと彼女は泣けばママが靡いてくれると思っているのか、真相はわからない。
蓮村誠先生の本に、(どの本だったか失念してしまった失礼)男の子は母親の愛を疑わない、それとは反対に女の子はいつでも母親の愛を確かめていて
本当に母親が私を愛しているか疑っている、というのだ。
母親の顔色を伺い、母親に褒められることを探している。
育て方に正解なんてないし、子育てのために私自身を犠牲にすることはできない、といつも自分と子の関係性を認めている。
自分自身が自分自身を認めている。
それなのに、いつも不安になるのだ。
間違っていたのか、、過去をああすればよかった、、私のせいなのだろうか、、、、と。
湊かなえさんの母性という本を読んだとき衝撃を受けた文章。
”女には二種類ある、母親か、娘か”
私も母にはいつも愛されたいと思っていた。
でも満足がいくほどの愛をもらえたことはなかった。
それは何故か、母と娘だから、なのだ。
満足のいく愛が得られなかったのは、私が娘だからなのだ。
理由はただ一つ、それだけ。
私は今、夫と、娘と息子、それと自分の母親と同居している。
関係性は割と上手くいっている。
私にも家族ができ、自分と重ね合わせることで折り合いがつくようになったのだ。
いくら愛情を注いでいるつもりでいても、母親と娘という時点で分かり合えない部分がある。
わかり合おうとすればするほど、迷宮入り。
絶対にゴールに辿り着かない迷路に費やす時間は今の私にはないはずなのに
ついつい挑んでしまう。
なぜ、夫と息子とはそこを追求しないのか、それは深く追及しないという
ある種の諦めに似た感情があるからなのかもしれない。
正味、分かり合えなくてもどうってことないな、と。
ゴールに辿り着かない迷路は、そのまま確実に存在しているという事実をただただた確認している。
そこにあるけど、深くは掘らない、みたいな。
事実をありのままそのままの状態で受け入れることができる。
しかし同性となるとそこに追求したくなる何かが存在する。
なんでわかってくれないんだ、痒いところはここなのに
どうしてママはかいてくれないんだ、と駄々を捏ねてしまうとことがある。
私が何よりも願うのは娘本人が、心地よい時間をいかにできる限り長く過ごしてくれること。
そして、あなたの人生は誰にも脅かすことなんてできないことを理解して欲しい。それが母親であっても、、
ついつい私自身のせいにしがちなのだが、それはもう自分を買い被り過ぎなのである。
私自身なんて娘にとって何者でもなければ、コントロールなんてできないのである。
ただただ、少しだけ手を添えることしかできないのである。