メンヘラが脱メンヘラを図る危うさ
時々、繊細だったりメンヘラ的な人が筋トレとか色々やって「どうだ!俺はもうメンヘラなんかじゃないんだぞ!強いんだぞ!かっこいいんだぞ!」的な方向に行ってしまう時がある。
そういうのを見る度に僕は「そっちに行っちゃいけない」と内心思う。
なぜって、人は、自分以外の何者かになろうとすると狂う生き物だから。
そもそもなぜメンヘラがメンヘラになるのかというと、それは多分に先天的な要因に依る。
内向的であるとか、刺激に対して敏感であるとか。優しいとか。
鈍感でひどい人間ならこうはならない。
メンヘラは先天的な気質に由来するのだから、原理的にそれを克服するなど不可能。生まれ変わらないと無理。
だから本来は克服するんじゃなくて、そんな自分の気質を受容して、そんな自分との付き合い方を模索していくべきなのだと思う。
※強いて言うなら萩原朔太郎の『僕の孤独癖について』に見られるように、老化によりいい意味で感性が鈍磨して、その結果メンヘラが寛解する事はあるかもしれない
例えば甲本ヒロトはいつまでもガリガリだけども、あれでいいんだと思う。(流石に甲本ヒロトは甲本ヒロトのまんま過ぎる気もするが。)
メンヘラな自分が嫌でそれを克服したくて仕方がないという心の動きはよく分かるけども、それをやった果てに待っているのは、自我の喪失だ。
アレコレ手を打って努力して、その一瞬はメンヘラを克服できたような気がして、万能感に浸れる。でもそんなの一瞬だ。
自分を殺した代償は、高くつく。
徐々に徐々にあれ?ってなる。
「もしかして自分はたった一人の自分を殺してしまったんじゃないか?」「必死に殺したかつてのメンヘラだった自分は、実はかけがえのない自分だったんじゃないか?」と気付いてしまう。いや気付けるならまだマシで、気付けない人もいるかもしれない。
ここで焦って引き返せるなら、それでいい。
だけどもここで頑なになって「いいや!俺はメンヘラを克服したんだ!このままイケイケ街道まっしぐらだぜ!」みたいな感じになってしまうと、いくら表層的には「成功者」「幸福者」になれても、心は暗いままだ。
表面的には元気でも、メンヘラだった時よりも一層悪くなる。
一見どんどん高く積みあがっているようで、それはスカスカでガタガタの
ジェンガだ。早晩倒壊する。
早晩倒壊はせずとも、終生自分を裏切り続けて「幸せなはずなのに幸せじゃない」虚無感を感じ続けて無駄に長い人生を終えるかもしれない。或いは人生後半で一気に歪みが表面化して何らかのトラブルを起こして、成功者から転落するかもしれない。
三島由紀夫は弱い自分を無理に否定してムキムキになって人格破綻をきたした好例だろうし、僕が大ファンのダウンタウン松本人志も弱く繊細な自分を必死に否定してムキムキになってバランスを喪失した好例だと思う。
イチローの筋トレ理論じゃないけども、あくまでも生まれ持った本来の自分の心身の範囲内でプラスアルファとして筋トレとかするなら別にいい。
僕も完全に素の僕のままだといくらなんでもメンヘラ不健康ヒョロガリすぎるので、多少は運動したりするし、心身を気遣ってアレコレ工夫したりはする。
でもそれ以上の、自分を根本から変革するような過度な自己改造を行うのは、注意した方がいいと思う。
繊細な人間がいくら豪胆を装っても、内面は繊細なヒョロガリ君のままだから。
それで本来ならきっと、彼らも僕らも繊細なヒョロガリ君のままでよかったのだと思う。
おわり。