コミュニケーション力
子どもの頃は、話を合わせるのが苦手だった。
小学校5年生。
給食で、4人の席を合わせて食べていたとき、給食に出ていた三角チーズを、1人の女の子が
「私これ嫌い」
と言うと、他の2人も
「私も」「僕も」
と言って食べなかった。
私は何も言わずに、普通に食べた。
そこからなんだか、自分の居場所がなくなっていった。
いわゆる、孤独を味わうことになる。
ラッキーなことに、父がフランスに転勤になったので、私はその居心地の悪い環境から脱出した。
今は、うまくその人の気持ちを肯定しながら自分は違うことを伝える術を知っている。
どうしているか。
コミュニケーションは、自分の立ち位置を決めていたら、思い悩まずに相手の受け入れ方も決まるので、スムーズにできる。
まずは、受け入れる態度をとる、この1stepが、子どもの時は、できなかった。
自分が自我を出せる相手とは、コミュニケーション力はそこまで意識しなくても、そもそも気が合うから腹を割って話せる。
でも、ときどき、腹を割って話したことで、関係にひびがはいることもある。
それは、互いに愛や優しさの欠如からそうなるんだと思う。仕方がない。
問題は、苦手なタイプの人。
自分とその相手との関係性を冷静に考える。
私は接客の仕事のときは、そのお客様がどんな心の状態でも、癒しの心構えで対応するので、99.9パーセントの方は、帰る時に表情が柔らかくなり、気持ちも幸福度UPしてもらえてきた。
自分の役目は、お客様にハッピーになってもらう仕事をすること、とはっきり決まっているから、姿勢は崩れない。また、そうすることが、私も嬉しい。
「苦手」とは、自分を知るきっかけになる。
なぜ苦手なのかを自分に聞く。
そうすると、コミュニケーション力に生かせる。
苦手なときほど、明るい気持ちになるように、自分に仕向ける。また、良い言葉を連発する。
そうすると、言霊が動いて状況が変わる。
コミュニケーションは、なんのためにあるのか。
理解し合うため
喜びを分かち合うため
情報を伝えるため
気持ちを伝えるため
悲しみを表現するため
物事を運ぶため
愛を伝えるため
幸せを運ぶため
コミュニケーション力は、大事だけど、
言語で伝えるのが苦手な人は、アーティストになったりする。
絵、音楽、作品に、たくさんの情報を詰め込んで、人を癒すことができる。そして、伝えることができる。
人とうまくコミュニケーションがとれなくても、動物となら、うまくコミュニケーションがとれる人も沢山いる。
また、物作り、研究、作家など、ひとりで黙々とする人には、コミュニケーション力の高い人が、そばについたりする。
餅は餅屋で、自分と違う能力のある人がそばにいてくれると、本当に助かることがある。
自分でうまくできないときは、友達や仲間に相談できるといい。それもコミュニケーション力に繋がるのだけど。
私は20代の頃は、よくゴン太(実家にいたとき飼っていたゴールデンレトリバー)に話していた。
何も言葉を返してはくれないけど、聴いてくれて、いてくれて、笑顔でいてくれる。
そのうち私はゴン太の横でスヤスヤ寝てしまうのだった。
コミュニケーション力は、必ずしも長けているからいいという訳ではないと思う。
その人の性格があるのだから。
自分を理解してくれる人がいれば、大抵のことはうまくいく。
そのためには、自分も相手を理解しようと思う気持ちが大切なんだと思う。