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吾唯足知私になりたい

古代中国の思想家 老子の言葉  恐れ多くも私の目標

汚れたる手を洗いし時のかすかなる満足が今日のまんぞくなりき
石川啄木(悲しき玩具より)
そんな満足いいなぁ
いつも不満だらけのふつふつとしている私は足るを知らなさすぎて勝手にストレスためこむタイプ、遊びに来てた孫達との話の中で主人は何を思ったのか昔の穴あき古銭の話を始めたらしく、和同海珎(わどうかいちん)日本で最初に広まった貨幣など、吾唯足知(われただたるをしる)と紙に書いた。中学生の孫は意味を理解したのかまだ聞いてないのだけれど多分わからなかったと思います。今まさに私に求められている言葉だとひしひしと感じでいます、足り過ぎている日々の暮らしにもっと感謝しなきゃ行けないのに不足な思いばかり、、、反省。いつもいい事ばかりじゃなくても、美しい空に感動したり、健気に咲いている花に癒されたり、庭にくる鳥たち、孫たちにも、たまに遊びに来る娘のうちの愛犬にも幸せいっぱい貰っている事、本当にありがたい、「人が皆我より偉くみゆる日よ、花を買いきて妻と親しむ」の心境に近い私は石川啄木の歌に共感している感は否めないです。でもこの前、機会があり子供が卒業した小学校の5年生の家庭科の3、4時間目のエプロン作りの授業にミシンかけの見守りとして参加させて頂いた折、年々児童数の減少でわずか12人の生徒、その子供達は6台のミシンを2人一台で使ってエプロンを仕上げてゆきます、私担当の2人の男子生徒(ちょっとわんぱく)とおとなしめの女の子、対象的である意味面白くなんとか2時間で2人ともエプロン完成、しつけのかけかた、ミシンの使い方、見ていて一生懸命さが微笑ましくて、女の子は優等生に仕上げ、男の子はみしんを勝手に操作して糸をもつれさせて、先生の手を何度もとったりと、、それでもなんとか完成してホットして終えました、楽しい家庭科授業でした。余談ですが少子化の影響をもろに受ける田舎の学校は私の子供たちが通った頃の3分のIにまで減少していました、一クラス5.6人程度だそうです、家庭科授業の五年生のみ12人らしく現在の生徒数は60数名程度だそうです。話をもどしまして授業の一コマの小さな微笑ましい光景に感謝して日々過ごそう、うちに帰りコーヒーの美味しかった事、この前道の駅に寄った時、偶然有田の陶器を売ってた出店で最後に一つだけ残ったマトリョーシカ、マトリョーシカ大好きの私に巡ってきた購入のチャンス?、しかも有田焼、嬉しすぎました、誰かわからないのにありがとうって言いたくなりました。友達が値段交渉してくれてお買い得でゲット!玄関で見ざる、言わざる、聞かざるを表した図柄のマトリョーシカ🪆こんなタイミングで我が家に来てくれるなんて、まだまだ捨てたもんじゃないなんておかしな見解つけて、その日を過ごしました。いつも足るを知る人になれるように自分でありますように

有田焼のマトリョウシカ

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