三途の川を見る
美智子の人生では何回か「天国」と「地獄」と「三途の川」を見る。
死にかけることが数回あったのだ。
その第一回目はこの交通事故だ。
16歳の夏。美智子のその後の人生を大きく変える事になる。
あの日は8月の初旬。(日付はあえて伏せることにします)
記憶にあるのは断片出来ではあるが朝、「このハムを1枚食べるか否か」で15分悩んだ事。それはある意味きっかけとなったのか。
結果食べない事にして原付で出発をした。
その日も暑かった。市内に行く用事があって、大通りを走っていた。
日差しも暑く大通りは混んでいるので近道をしようと路地に入った。
その路地をまた更に曲がったところで、「左からくる何かおおきなもの」が視界に入ったのが最後。
つぎの記憶は渋谷の「パルコ」の看板がさかさまに見えてスローモーションとなっていた映像。
その後は、まるでドラマをみているかのような感覚だった。
痛みも何もない、ただ「耳」が覚えている「音」。
救急車の音。
「だいじょうぶですかー!!きこえますかーーー!」
という恐らく救急隊員の声。
「いちにのさん…」というような声。
担架にのせたのかなぁと後から美智子は思った。
その次の記憶は、
とてもきれいな白い世界にいた。
何もなかった。
目の前の角を曲がったら右手にカーテンがあった。
そのカーテンを開けたら、お手洗いで用を足している(座っている)老人がいた。性別はよく覚えていない。「ごめんなさい!」と慌ててカーテンを閉めると、右横の手洗い場ではまた別の老人が手を洗っていた。
そして美智子に「アンタここで何をしてるの!早く帰りなさい!」とどこか地方の訛りで言われた。
びっくりして美智子はその場から出ようとしたら、遠くから声が聞こえてきた。「わかりますかー??だいじょうぶですかーー??」
「先生まだ?!早くよんできて!」
なんか明るいなぁ、まぶしいなぁと美智子は思った。
そのあと少しして、意識が戻った美智子はそこが手術室だと一瞬思ったが、また昏睡してしまった。
次に意識が戻ったのは病室で、頭が経験したことがないほど痛かった。
美智子は左から来た乗用車に跳ねられたのだ。
制限速度40キロの路地を70キロで走る車と、交差点での衝突。
美智子も多少減速はしたものの見通しの悪いその交差点では間に合わず、美智子は跳ね飛ばされた。飛ばされた衝撃でヘルメットは脱げ、見事に車を通りこして頭から落下したらしい。
現場のおびただしい血痕から、警察官も誰もが「即死」を覚悟したくらいだった。退院後の現場検証で警察官たちに「生きてる!!」と言われたのは
記憶に深く残っている(笑)
頭がい骨骨折とクモ膜下出血に脳挫傷のトリプルパンチ。
クモ膜下出血は経験したことある人にしかわからない、頭をハンマーで殴られ続けているような痛みが続く。
何度も夜中にナースコールを鳴らしてモルヒネを要求した事か…。
歩けるようになって院内を歩いていると、最初に運び込まれたときに行った場所にカーテンで作られたトイレがあった。
あのままもしあの老人がいなければ美智子はトイレに流されていたのだろうか?自分の三途の川はトイレなのか?と、きれいな川だけではないことを美智子は知った(笑)
脳外科というのは、入院患者の多くが年配者で、始終叫び声や唸り声が響いていた。そして、夜にはいつも美智子のベットにはフランス人形がいた。
これはきっと見えてはいけないものなのだろうと、美智子は気にしないように努めた。
そんな美智子に事件が起きる。
美智子は重篤患者だったため、個室をあてがわれていた。
入院して2か月がたったころ、少しづずリハビリを兼ねて院内をあるいていた美智子に声をかけてきた若者がいた。
高齢者ばかりの脳外科に珍しいと思っていたら、別の病棟で「骨折」で入院していたと。脳外科に若い女の子が入ってきたよと看護婦さんに聞いてきてみたというのだ。
美智子は困惑した。
もともと男性とあまり話したことがない事に加え、看護婦さんがそのような事を言ったことにも嫌悪感だった。しかし「断る」というスキルを持っていなかった美智子は、とりあえず話をした。
そして、携帯電話の交換を求められたので従った。
当時の美智子はPHSを持っていた。
その夜、メールが届いた。
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