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「春に」

朝目が覚めるとLINEに1件の未読メッセージが届いていた。誰か夜更かししていたのか、それとも早く起きすぎたのか。開くとそれはLINEニュースからの号外で、詩人の谷川俊太郎さんが亡くなったという知らせだった。

私が通っていた中学校は毎年秋に合唱コンクールが開かれる。クラスごとに課題曲を選び、数か月かけて練習し、本番は市民会館の大きなホールで披露することになっていた。学年別で順位をつけるのだが、賞を獲りやすい曲というのはあって、例えば「たじま牛」「親知らず子知らず」のような派手な曲は評価が高くなる傾向にある。それなのに我が3年4組はどういうわけか、派手さのない「春に」を選んでしまった。確かにいい曲ではある。メロディーラインは美しいし、歌詞も卒業を控えた思春期真っ只中の少年少女たちにはピッタリマッチしている。でも、これでは優勝はできない…。伴奏用楽譜を渡された私はそう思った。

この中学では卒業式に卒業生の合唱曲の伴奏ができるのはただ一人。誰が弾くかはこの合唱コンクールでの存在感にかかっていると言っても過言ではない。1年生のときに「モーニング」で誰よりも華々しく伴奏者デビューを飾った私は、続く2年生の「一羽の鳥」はクラスの成績がふるわずライバルのマキちゃんに一歩リードされた。いよいよ最終学年、今年クラスが優勝すれば、有無を言わさず私が卒業式で伴奏できるはずだ。

田舎の公立中学校では、勉強ができることは大して役に立たない。どうせほとんどの人が地元で過ごし、小中の友人と一生付き合っていくことになる。どれだけ友達から慕われるかが人生のすべてだった。
私にも友達がいないわけではなかった。でも自分の得意分野はコミュニケーションではなかった。他人が何を考えているかは全くわからなかったし、ギャグができるわけでもない、男子の目を見て話すことはできなかったし、おしゃれでもない、もちろん運動もできない。唯一できたのが勉強、それとピアノ。おそらく友達とだらだら遊ばなかったからそれしかやることがなかった、だからできたというだけなのだが。

合唱コンクールの練習が始まっても、3年4組は大してやる気にならなかった。そもそも「春に」が選ばれたのも理由がわからないほど、誰もこの曲に思い入れがない。大人に反抗したいだけの男子はロクに練習もせず、女子もソプラノとアルトのバランスが整っていない。指揮者にはただお調子者なだけの男子が選ばれた。
それでも本番はやってくる。いよいよ私たちの出番になると、大ホールで人前に立ったことのない指揮者はガチガチに緊張し、彼の指揮に従って超高速の「春に」が演奏された。最悪だ。
当然私たちは入賞できなかったが、私の学業の成績がよかったことも先生方には好印象だったのだろう、卒業式で伴奏をすることができた。

だからと言って私の人生は何も変わらなかった。
急にクラスの人気者になることもなく、彼氏ができたわけでもない。2、3人の友達と326を真似たイラストやポエムを綴りながら残りの日々を過ごし、高校生になった。

高校では音楽は必修科目ではなくなった。演劇部に入り運動ができなくても友達ができるようになった。みんな同じレベルで勉強ができるので、勉強ができすぎることでコンプレックスを抱く必要もなくなった。

今思えばあんな小さな世界で何をこだわっていたのか。
地平線のかなたへと 歩きつづけたい
そのくせ この草の上で じっとしていたい
どこかに行きたくて、でもどこにも行けない14歳の私は、合唱コンクールが終わっても何度も何度も、心の中でこの歌を歌った。
それは声にならないさけびとなって今でも私の中で反芻しているのだった。

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