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晴れても雨でも、自分の心次第

 「京都祇園もも吉庵のあまから帖」シリーズの第1巻。
その第3話の物語の主人公である湯川丈雄は、四条通りは南座のすぐ近くにある「仲源寺」さんの境内の長いすで、旅の疲れから眠ってしまいます。
それは、こんなシーンです。
 
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四条大橋を渡り切ると、京都四條南座。
京都の師走の風物詩として「吉例顔見世興行」が有名だ。丈雄は、その南座の前を通り過ぎ、目的の仲源寺にたどり着いたところで、再び目眩を覚えた。さきほどよりも、かなりひどいが、歩けないほどではない。
夕べ遅くに思い立ち、新幹線に飛び乗った。
今朝は、ろくに朝食も取らず、朝一番でホテルに荷物を預けて出掛けた。
ショルダーバッグを肩に斜め掛けし、ガイドブックを手に、ほぼ一日、京都の街なかを歩き通しだ。
「罪滅ぼしの旅」とはいえ、さすがに疲れが溜まっていたのだろう。
「ここかぁ~、ずいぶん小さなお寺だなぁ」
にしんそばや、お土産屋さんが立ち並ぶ。その店と店の間に、ひょっこり現れた寺門には、「雨奇晴好」の扁額が掛けられている。
ガイドブックによれば、謂れは鎌倉時代に遡るらしい。当時、鴨川は暴れ川と称されるほど、毎年幾度も氾濫して人々を苦しめた。ある時、地蔵菩薩のお告げがあり、この地蔵菩薩を祀ったところ、川は穏やかになったという。
そのため、「雨やみ地蔵」として敬われるようになったが、その後、「目疾地蔵」と言葉が転じる。目の病を治してくれるということで、信仰を集めるようになったそうだ。
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月刊「PHP」誌で「志賀内泰弘さんと京都・祇園花街を訪ねる」というツアーが企画された際、この「仲源寺」さんを案内しました。参加者の方から、「雨奇晴好ってどういう意味です?」と尋ねられたらすぐに答えられるようにと、初めて調べました。
 
「雨奇晴好(うきせいこう)」とは、
11〜12世紀の中国の文人、蘇軾(そしょく)が自然の眺めを詠んだ詩句から生まれた四字熟語だそうです。
晴れても好し、雨でもまた奇なり。
「奇」は、まれなほどに優れているということ。
つまり、
晴れの日はもちろん、雨が降る日であっても、それぞれによい景色で、趣のあることを意味します。
 
お寺の門に掲げられている扁額です。
きっと、訪れる者に何らしか「人の道」を問うているに違いありません。
私は、こう解釈してみました。
 
 人生には「晴れの日」も「雨の日」もある。
 雨、つまり失敗や挫折、謂れのない中傷に悩む時もある。
 でも、それはけっして、長い人生にとって悪いこととは限らない。
 「雨」だからといって、短絡的に「良くないこと」と捉えるのではなく、
 「まれなくらい良いことだ。凹んだりせず前を向いて人生を楽しもう」
 
私は、超マイナス思考で、ちょっと体調が悪かったり、仕事や人間関係でトラブルがあると、すぐに凹んでしまいます。
「雨奇晴好」
つまり、自分の心次第で、自分の人生は変えられるとということ。
そんな自分に、ぴったりの励ましの言葉です。

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