お御籤で「吉」よりも、「凶」が引きたいと願っても、なかなか出ないものです
おかげさまで、拙著「京都祇園もも吉庵のあまから帖」の第9巻が発売になりました。
この第5話のプロローグでは、「お御籤」が重要なポイントになります。
初詣に行って、「凶」を二回続けて引いてしまった新聞記者の勇が、どうしようもなく落ち込んでしまうシーンで、主人公のもも吉が、こう諫める一方で励まします。
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「勇さん、あんた間違うてますえ」
「え?」
「おみくじの凶は、少しも縁起の悪いことやあらしまへん」
「でも、良うないことばかり書いてあります」
「ええどすか、人いうんはついつい慢心するものどす。それを神様が戒めて下さってるんや」
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物語は、ラストシーンで、このもも吉の言葉が大きく関わることになるのですが、それはネタバレのなるので、ここまでということで・・・。
ところで、若い頃、私はお御籤を引きませんでした。
いや、引けませんでした。
理由は明白。
気が小さくて心配性。
もしも、「凶」を引いてしまったら、不安で不安で夜も眠れなくなることがわかっていたからです。
でも、いくつかの挫折や苦難を経験し、さらに、いろいろな先達からの教えによって、こう考えるようになりました。
「今が人生の底で良くないなら、あとは上に上がるだけだ」
その思いを強くして、
「エイッ」とお御籤を引きます。
でも、「中吉」や「吉」、ときに「大吉」。
なかなか「凶」を引き当てられません。
なんとういう贅沢な・・・と思われるかもしれませんが、「大吉」ということは、「今が頂点」。ということは、後は底へ向かって下るだけ・・・という解釈になってしまうのです。
またまた心配性な私は、「吉」を引くことが、怖くなってしまいました。
そしてそして、2024年のお正月。
「辰年」ということで、辰にご縁のある京都の「瀧尾神社」に初詣に行きました。ここは、仕事運向上商売繁盛のご利益で知られ、本田の正面にある拝殿の天井に、長さ8メートルもの龍の彫刻が鎮座しているのです。
そこで、引いたお御籤が、なんと!
「凶」ではありませんか!!
思わず、ラッキー!と声を出してしまいました。
そこには、こんなことが書かれていました。
「誰でも叱られることは嫌である。
しかし、叱られることで初めて気付くこともたくさんある。
せっかくの指摘も偏屈な心では何も得られない。
素直な心で向き合って初めて有難いと思えるのである」
よし!
頑張ろう、と思ったのであります。