京都・祇園甲部「吉うた」が火災に。女将の生き様に心震えました
「京都祇園もも吉庵のあまから帖」シリーズを書くにあたって、版元のPHP研究所さんから紹介いただき、まずはお茶屋や遊びを体験することから始めました。
お世話になったのは「吉うた」。歌舞踊曲「祇園小唄」ゆかりのお店として知られ、アカデミー賞監督のフランシス・コッポラも訪れたことがあるという有名なお店です。
何度も通いつめるうち、「吉うた」の女将(花街では「お母さん」と呼ぶ)の「生き様」に惚れ込みました。そこで、了解をいただき、お母さんをモデルにして主人公もも吉を描くことを決めたのです。
苦心惨憺の末に、第1巻が書きあがり、「京都祇園もも吉庵のあまから帖」の校正作業の真っ最中のことでした。
忘れもしない2019年7月の8日。
「吉うた」さんが、二軒隣の不審火から火災に遭い、全焼してしまったのです。
連絡が取れないまま、一週間が経ちました。
すると、祇園の知り合いから、お母さんが無事だという電話が入りました。
娘さんの家に身を寄せておられるとのこと。
ホッとして、教えていただいた住所に手紙をしたためました。
すると、まもなく一枚の挨拶状が届きました。そこには、
「・・・類焼により全焼という痛手を被り気落ちしておりましたところ、皆様方よりあたたかい激励を頂き、この災難にめげずに立ち向かい、来春の都をどりの時期を目途に『吉うた』再建を果たそうと思っております。・・・」
とありました。
消印は8月5日。
まだ火災から一月も経っていません。そして、都おどりの始まる4月1日までは八か月しかないのです。火災現場はいまだにそのままという中で。
なんというバイタリティ。たしかお歳は八十近かったはず・・・。その前向きな行動力に驚くばかりでした。
ところが・・・です。これから一月ほど後、さらなるお母さんの真の「前向きさ」に驚かされるのでした。
9月の9日。
四条通のスターバックスの前で、お母さんと待ち合わせをしました。出来上がった「京都祇園もも吉庵のあまから帖」第1巻を献上するためです。
そこに現れたのは、初めて見るお母さんの私服姿でした。それも、ダブダブのグレーのTシャツなのです。「おやっ?」とは思ったものの、口にはせず一緒に喫茶店に入りました。
お母さんは、言います。
「全部燃えてしまいました。先代、先々代の着物もすべて」
着物に疎い志賀内でも想像はつきます。最低でもマンション一軒分の価値はあるものでしょう。それよりも、額装した「祇園小唄」の「詩」や、名だたる歌舞伎役者さんとの記念写真など「思い出」の「もの」も失くなってしまったのです。
「着る物があらしまへんから、舞妓さんがユニクロのTシャツをくれました」
さらにお母さんが、笑顔で語る話に驚かされました。
「火災の日は、うちの七十九歳の誕生日だったんどす。
燃え盛る火を通りで見ながらも思いました。これは、神様が燃やして下さったんやと。人生というものは、何度でもやり直せるとは言うけれど、人は今まで培った物をたくさん抱えているから、ゼロからのやり直しにはならない。
そやから、神様が『全部燃やしてあげるさかい、ゼロから始めなさい』と、燃やしてくれているんだろうと思ったんどす」
唖然としました。なんという気丈なことか。そして続けます。
「うちは一度も後悔したことはあらしまへん。人間は、シュンとしていたらダメ。『やらなあかん』と思うたら元気が出るものどす。すべて失くなって良かった。神様が『あんたやりなはれ』言うてはる気がするんどす。家も着物も失くしたけれど、『あんた自身は変わらんやろ』と思ってはるんと違うやろか」
励まし、お見舞いに伺ったつもりが、反対に「人生」というものを教えられ、さらにパワーまで頂戴しました。
人は、不条理・理不尽な目に遭ったとき、真価が試されるのですね。お母さんの「生き様」に多くのことを学びました。お母さんは心の師匠です。
その後、コロナ禍も乗り越えて、真新しいお茶屋で営業を再開されています。