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私の不登校体験記vol.2〜不登校になるまでの様々な要因〜
以前の記事では、小学生時代の「私」について書かせていただきました。
ではここから、中学校時代に時が移ります。
中学校時代、登校時間が約6倍になったことから、生活リズムの変更を余儀なくされました。
今までは登校時間ギリギリに起きても走れば余裕で学校に着いていましたが、今度はそうもいかない。
それが登校拒否につながる環境的な要因の一つでした。
そして、人間関係の再構築。中学校では、2つの小学校が1つになりました。つまり、クラスの約半分は「自分の」、そして「自分を」知らない人たち。元来、人見知りだった私にとってはなかなかに辛い状況でした。それでも、仲の良い友達は数人できました。部活を通じて。
しかし、そんな部活も辛さの遠因でした。小学生時代から仲の良い友達と同じ部になったこともあり、部活自体は楽しめていましたが、朝練・夕練の存在です。
朝練に行くということは、当然早く家を出なければなりません。7時から朝練をするということは遅くとも6時半には家を出ねばなりません。夕練が終わるのは、たしか18時。ということは家に帰れば18時30分。仲のよい友達とは下校ルートが違いましたから、一緒に帰ろうと遠回りをすれば19時近くになったことも。家に帰ればもう夜ご飯です。
自分の自由時間があまりないこともストレスでした。
そして、学習面でのはじめての「挫折」です。小学校時代はたくさん読書をしていたこともあり、90点〜100点以外を取ることの方が稀でした。
中学校ではみなさんご存知のように、小学校までの単元ごとのテストではなく、中間・期末テストで成績がほぼ決まります。(最近は文科省主導でその仕組みを見直す動きも出ているようですが。)
中学校1学期の中間・期末テストで、教科はたしか…理科だったでしょうか。80点台の点数をとりました。そして、100点はどの教科でも取れなかったように思います。
今の私であれば、「なんだ、挫折なんて大袈裟な。がんばってるじゃん。」と声をかけてあげるでしょうが、当時の私は偏屈な「完璧主義」です。自分が自分で許せないような、そして自分が否定されたような気持ちになったことを覚えています。
最後に、そして最大の要因は、別の小学校から来た、知らない人からの「いじり」です。
(文科省の定義では「いじめ」にあたるのでしょうが、堅苦しくいきたくないのであえて「いじり」という言葉にしています。)
新しくクラスが同じになった男の子。その子は今でいう「ウザ絡み」をしてくる子でした。隙あらばすれ違いざまに強めに叩いてくる。追いかけ回してくる。つねってくる。言葉で小馬鹿にしてくる。
そのような人間は小学生時代にはいませんでした。
今であれば、その子は私のことを嫌っていなかったのかもしれない。興味があって近づいてきたのかもしれない。そう思えるのですが、当時はそんな余裕はありませんでした。
学校に行きたくない…そんな気持ちを抱えたまま1学期は過ぎ去り、迎えた2学期の9月。
私が学校を休もうと母に伝えた言葉は、
「お腹が痛い…」