エコぐらし帳 序文
ついこの間、レジ袋が有料になりました。
課金を盾にされてはと、今では多くのひとがレジ袋を断るようになりました。
遡ることうん十年、小学生の私は当時からすでに店頭で袋を断っていました。変わっていると思われたのか、怪訝な顔をする店員さんもたくさんいました。無視して品物を袋に突っ込む店員もいました。それでもメゲずに断ります。
使うノートは、血眼になってグリーンマーク付きの再生紙のものを選びました。緑の羽根共同募金に有り金全部突っ込んだことも、道に散らばるプルタブ拾いの旅に出たこともありました。皿を洗えば油をキッチリふき取りました。
私は(やや極端な)エコ小学生だったのです。
本当は70%じゃまだ甘いと思っていた
発端がどこだったのか、もはや定かではありませんが、わたしは小さい頃からドラえもんが好きで、中でも、人間の開発の陰で生活を脅かされている動植物や生き物の話に胸を痛めていました。
ドラえもんの35巻に「ドンジャラ村のホイ」というお話があります。
東京の森に住んでいた小人族のホイ君は、開発のために住む場所を失い、新しい土地を探す旅の途中で倒れたところをドラえもんたちに助けられ、最終的には緑豊かなアマゾンを新天地として、一族で移住することとなります。
救いのある結びではあるのですが、人間が小人族を故郷から追いやった事実は変わりません。そしてそのアマゾンも、続きを描いた映画では安住の地ではなくなってしまったことが描かれます。
作中、ドラえもんがのび太に投げかける鋭いセリフがあります。
(出典:ドラえもん35巻P172より)
『きみもしってるだろ、これまでにどれだけの動物が人間のために地球上から姿を消したか!今も消されつつあるか!!』
ドラえもん35巻の発売が1985年なので、藤子F先生がこのセリフを書いたのはもう35年以上前になりますが、その間にも「姿を消した」動物は増え続け、恐竜時代には1年間に0.001種の絶滅スピードだったものが、現在では1日100種にまでなっています。
私が緑の羽根共同募金に突っ込んだ有り金は、生き物の命をいったい何秒くらい永らえたのでしょうか。
私がエコ小学生だった時代、実は日本は一時的な「エコロジーブーム」だったそうです。もしかすると、私がエコ小学生になったのも、近所のジャスコに再生紙のノートが売られていたのも、ホイ君が描かれたことさえも、ブームの影響だったのかもしれません。
(かれこれ20年以上は使っている無印良品のエコバッグ。もうヨレヨレ)
時が下って現在。
私のなかのブームは去らず、エコ小学生はエコ社会人になりましたが、近所のイオンにはもう再生紙のノートはありません。ブームは時の彼方です。
有料化が始まるまで、レジで袋を断る人を、私は結局自分以外にほとんど見ませんでした。親などは消費をヨシ!として育った世代のせいか、エコ的な行いには欠片も興味を示さず、節電節水などというケチなことには顔をしかめ、皿の油を拭う私の横で汚水を躊躇いなくシンクへ流します。
私だけなんだよな。
さすがの私も少々倦みました。
そんなとき、海を泳ぐ海亀の鼻に、プラスチックのストローがつき刺さりました。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/081900226/
ニュースの映像をみたとき、私の中のエコ小学生が泣きました。映画の「のび太と雲の王国」を見た時と同じくらい泣きました。
どんなに時が経っても、周りの人間がどんなに自然を思いやることを忘れても、私はやはりドラえもんを、ホイ君を、キー坊を裏切ることはできないのだと知りました。
どれほど頭が良くて、他の生き物よりも上手に立ち回れたとしても、ホモ・サピエンスは単なる動物の一種です。特別扱いをされるべき生き物でも、神の似姿でも、なんでもありません。本来は自然の掟の中で食ったり食われたりするはずの、ただの生き物です。一介の動物にすぎないからこそ、ヨソの生き物を何千種も蹂躙するような行いをしてはいけない。
そう、ヨソ様に迷惑をかけない。
エコに無関心な母でも、それは言っていました。そこは守りたい。
(そのポリシーに従うと、本当はただちにサバンナに行って頭からライオンに食われるのが本当のエコかもしれないのですが、最近の人間の体はプラスチックだらけだといいますので、ライオンの健康のためにも、もう少し自然にプラスの行いができる期待を自分に持ちながら生きながらえることにします)
ただ、これほどプラスチックごみで多くの海の生き物が命を脅かされても、近所のイオンにはプラスチックのスポンジしか売られていません。環境にやさしい洗剤が欲しくて情報を探しても、ネットの商品比較の項目は「洗浄力」と「コスパ」だけ。問題と生活とが繋がっていない。なんともぼんやりした世の中です。
現代は、エコに生きたくても、人一倍注意深く情報を集めなければ生きられない時代のようです。ならば、せめて私だけでもそうしようではないか。
小学生は小学生なりに孤独に頑張っておりましたので、大人も大人なりに頑張り続けようと思います。私の周りに仲間はいませんが、もし遠いどこかに同じ思いの人がいれば、そのために、自分なりの頑張り方法を書き残そうと思っております。