なにも楽しく感じられないときは
長引くコロナ。
人を巻き込むような事件も多発している。
みんながストレスを抱えている。
特に日本は、「コロナにかかって、職場の人に迷惑をかけてしまって、申し訳ない」と思う風潮がある。
海外と違い、自主的に外出を控える人も多い。
都心部は、唯一の癒しである大きな公園のほとんどが閉まった。
入場料のかからない公園には人が集まり、そこに癒しはない。
私は昔、南向きの部屋で過ごしていた。
けれども、鬱だったために雨戸(シャッター)を閉じて真っ暗ななか過ごすという暴挙に出ていた。
部屋にいるのが一番安心できたから、毎日毎日引きこもっていた。
そうして予備校にも通わず、浪人の時期を過ごした。
鬱が良くなってからも、家の中が好きだった。
隙あらば家にいようとする。
優しいパートナーや友人が、必死に私を外に出そうとしてくれる。
彼らの優しさを無碍にすることもできず、誘われれば、重い腰を上げて、ようやく外に出る始末だった。
そんな私が「もう家にいたくない」と心から願った。
コロナって恐ろしい。
そう思うのはコロナのせいだけではないのだけれど、もういい加減、旅行がしたい。
カラオケに行きたい。映画を観に行きたい。怖がらずに外食をしたい。思いっきり空気を吸い込みたい。
コロナを気にしていない人からすれば、「すればいいじゃん」の一言で済むのだろうが、我が家の人間のハートはそんなに強くない。
日本でコロナの感染が最初に確認されたのが、2020年1月。
つまり、まる2年経ったということになる。
当時から、新型のウイルスは収束するのに2~4年ほどかかると言われていた。
けれども、こんなにも日常生活に支障をきたすものだとは、誰も思いはしなかっただろう。
最初の頃は、言い方は悪いが、イベント感覚で楽しめた。
半年経つと、不安のほうが大きくなった。
1年経つと、「あとどのくらい続くのだろう?」という気持ちが芽生えた。
さらに1年経って、「そろそろ限界だ」と思えてきた。
それでも、自分なりの感染対策は怠らない。
1日中出かける日は替えのマスクとゴミ袋を持っていき、お店の商品やレストランのメニューを触ったら必ず消毒する。
レストランのテーブルは、時間に余裕があれば除菌シートで拭く。
家に帰ったら、買った物やスマホは除菌シートで拭く。
服はすぐに脱いで洗濯機に入れるし、どんなに疲れていてもお風呂に入らずにベッドに寝転がることはしない。
定期的に鞄や上着も除菌スプレーをかけている。
そんなふうに対策をして、一応コロナにかからずにいられている。
危機感は消えない。
「もし誰かにうつしてしまって、その人が亡くなったら」と考えると、危機感をゆるめることはできない。
そうして、日々、少しずつ少しずつストレスはたまっていく。
隣人が夜中に洗濯機を回したり、古い室外機がガタガタ音を立てていたり、工事現場の音がうるさかったり、マスクをしていない人が増えたり、友人に会えないこともストレスだ。
ストレスは発散されることなく蓄積されて、心が、死んでいく。
気分転換にゲームをしても、リフレッシュされない。
平日に山登りをしてみても、その場しのぎでしかない。
狭い部屋のなかでの運動は、まったく解放感がない。
「私の心は、もう動かなくなってしまったのだろうか」と思う日が増えた。
がんばって、がんばって、がんばって、楽しそうにしている自分がいる。
がんばって笑顔をつくっている自分がいる。
この、心が動かない感じが……昔の自分に戻ったみたいで恐ろしい。
糸がプツッと切れて、堪えきれなくなって、久しぶりに友達と話した。
直接会ったわけではないけれど、少し心に余裕ができた。
そして考えた。
どうすれば楽しく過ごせるだろうか?
そういえば最近「〇〇したい」という欲すらなくなっていたことに気がついた。
旅行したいとかカラオケ行きたいとか映画観に行きたいとか、いろいろ思い浮かびはするけれど、心が動く感覚がなくなっていた。
衝動というか……『「〇〇したい」から「〇〇しよう」』となる、心の動きがない。
すべてコロナで抑えつけられていて、「思ったところで叶いはしない」という気持ちが同時にわき起こるからだと思う。
そして「結局何を願っても叶わないなら、何も願わないほうがいい」と、無意識に思っていたのかもしれない。
だから当然、何も楽しく思えなくなってしまう。
ただ淡々と日々を送るだけの生活。
ストレスだけが増えていくだけの生活。
そう分析さえできてしまえば、こっちのもんだ。
「じゃあ、今すぐには絶対叶わない、もっと先の未来のことを想像してみよう」と思い立った。
「旅行したい」だと、「コロナさえなければ今すぐにでもできること」だから良くない。
だとすれば……私の夢「自分の城を築くこと」を、もう一度リアルに想像したらいいのではないだろうか。と思った。
「自分の城を築く」
高校生の頃から、「40歳くらいまでガツガツ働いて、投資とかもしてお金を増やして、最高に住み心地の良い家を作って、引きこもる」のが夢だった。
今でもそれは変わらない。
趣味である木工や陶芸を家で好きなようにやりたい。
寒かったり暑かったりするのは嫌だから、屋内でできるようにしたい。
かっこいいと思う部屋を自分で設計して、「最高な家だ」と自画自賛しながら日々生活したい。
家そのものはそんなに大きくなくていいから、庭を広くしたい。
そして家庭菜園をしたり、庭キャンプをしたりしたい。
そこに、パートナーがそばにいてくれたら、きっと最高な生活が送れる。
子供は、いるところはまったく想像できないけれど、余裕があれば育ててもいいかもしれない。
たまに友人を誘ってみんなでゲームをするのも楽しいだろう。
ネットでおしゃれな家をたくさん検索する。
気に入った写真を保存して、まとめて印刷する。
そうすることで、より具体的に、将来が思い描ける。
「これを叶えるためには、いくら必要だろう?」と考える。
「それじゃあ、今すべきことはなんだろう?」と深掘りする。
それだけのことで、少し気持ちが高まった。
コロナがあろうがなかろうが、今すぐには叶わない「やりたいこと」を想像したことで、動かなった心が少し動いた。
もしかしたらこれもその場しのぎの対策なのかもしれない。
明日にはまた心が動かなくなってしまっているかもしれない。
それでもなんとか、コロナがインフルエンザと同じような扱いに完全になるまで、耐えるしかないのだ。
きっと来年には。
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