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ヨルシカオタクによるライブ「盗作」レポと、あの二人の生まれ変わり説への反論 2/3

ヨルシカのオタクがヨルシカのライブを鑑賞してきたので、知識と主観を総動員してレポを書く。今回はレポの後半。

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【2024/09/26追記】
大変今更だが、今現在私は反論の章の通りのスタンスをとっていない。エイミーが音楽泥棒さん、エルマが奥さん+なんなら少年にまで生まれ変わっているのは、ライブ盗作以降の流れを見るともはや疑いようがない。ほんとすみませんでした。
ただし、それでも矛盾の説明はついていない。時間が逆行しているのではという説もあるがまだ確
信には至らない。というわけで当時の思考の記録として残しておきます。
【追記おわり】

レポ──後半──


9.山の草原

夜祭へ向かう道中、生まれ変わりと前世の話をする。

彼女は昔あのバス停で幽霊に会ったことがあり、彼は生まれ変わりを信じていたのだと話す。顔を上げて座る彼は雲ではなく、あの百日紅を見ていたのかもしれない、らしい。ここで「負け犬にアンコールはいらない」の初回盤所持者と、入場時に配られた同内容のブックレットを読んだ人はおや、となる。

彼女は生まれ変わったら花になりたいと言う。
うちとけて一輪草の中にゐる、という句が印象的に繰り返される。古舘曹人の俳句。

小説を読んだことのない人もここで待機時間の映像の意味が分かったはず。


10.逃亡

逃亡の位置はここが正解だった。山の草原を聞いてしまってはそれはそう。

suisさんがベンチに座る。これまでスポットライトやビームを多用していたステージ上の演出はがらりと変わって、向こうの壁が夕日を透かす障子のようなオレンジ色に。

なんと和太鼓が登場する。祭囃子アレンジと言うべきか。ピアノも少し違った気がするが元々ジャズ風の曲なので正解の譜面なんてなかったのかもしれない。

1番Aメロ後のsuisさんのハミングが音源よりも楽しそうで不意打ちを食らった。


11.風を食む

ピンクと水色が綺麗に溶け合う抽象的な映像をバックに、ここでついに優しい声質のボーカルが聞こえる。

ライブ用の動画の中ではそこまで凝って作られたほうではないのかもしれないけれど、これは奥さんと泥棒さんの映像だと強く思った。やっぱりこの曲は奥さんが泥棒さんを包み込む歌なのだと思う。

「風のない春に騒めく」の「か」「な」の発音が音源通りに美しくて、何十回目かの「ああこの声は実在したんだ」を経験する。


12.夜行

カラフルな影絵のようなシンプルな造形の、都会から山へと風景が移り変わる横スクロールの映像。電車が登場して風景にも時折四角い光が移るので、たぶん風景は車窓から見たもの。


この後の朗読で言及されるが、夜祭からの帰りは電車だったらしい。この曲のタイトルと春泥棒のMVの電車の場面のモチーフが明かされた形。

【後日追記】

帰りが電車なのは特典小説に全然書いてありました。何を見ていたのでしょうか。

【追記終わり】


この曲も和太鼓アレンジだったはず。元からして静と動の揺らぎが完成されている曲なので動部分が和太鼓になってしまうとなかなか慣れなかったがこれはこれで夜行。


13.嘘月

ここで使われた映像のことはたぶん今後ずっと考えてしまう。

全編撮り方を変えた月が映っているが、それが単なる情緒的な映像ではなくところどころ無機質な観測画面を映したものだったりする。月を見る視点がちょっと冷めているのだ。そんな映像がこのエモいエンドロールのイデアのような音に乗っている。

音源では比較的伴奏に溶け込むようだった「待っている」の語尾がしっかり聞き取れたような気がする。歌詞にないアウトロの「本当なんだ 夜みたいで 薄く透明な口触りで」は無かった。


14.夏祭り

朗読パート。夜祭の会場に着いてからの場面。

花火空を背負った彼女のことを見ながら僕が考えていたのは、あのバス停の百日紅のこと。ここでまた赤背景の「百日紅」の明朝体が花火の映像に割り込む。

会場で配られたブックレットでも、たしかアルバム「エルマ」の初回特典の日記帳でも、百日紅は「爆弾のように咲」くものとして描写されている。

そうか、花火も爆弾だ。


15.盗作

ここで表題作。始まった瞬間音なんて一切しないはずの客席が沸いたのを感じた。たぶん気のせいではない。

ステージに大きな構造物が吊られている。最初は巨大で歪なミラーボールのような何かの塊に見えたが、色とりどりのプラスチック片を大量に吊るしたものだったと思う。

ハートの形をしていた気もするがここに関しては確証が全くない。見ていた位置も正面からは外れていたし。なんとなくアルバムアートワークを思い出したが、たぶん風を食むと春泥棒のシングルのジャケットのせい(物理媒体ではリリースされていないが各配信アプリで見られるはず)。

心の中で叫んだのは最初の間奏のギター。「展覧会の絵」の音に変わっていた。なんてグロテスクなことをするんだと鳥肌が立った。

この曲は小説の中に一瞬登場する。泥棒さんと、キーパーソンの少年が二度目に出会う雑貨屋で流れているクラシック。

終わり際にもはっきりジムノペディが鳴る表題作「盗作」でその音まで継ぎ接ぐのは、もう音源でも元々そうしようとしていて没になったか匂わすだけに留めることにしたのをここで叩きつけにきたとしか思えない。今回思い付いたのだとしても天才的に残酷。

一応言っておきますが全力で褒めてます。

【後日追記】

「展覧会の絵」の音、音源版でも全然ピアノが弾いてました。聞き込みが足りない。

とはいえ分かりやすい形で出してきたことには意味があるんじゃないかな、とは思います。苦し紛れの主張です。

【追記終わり】


16.爆弾魔(Re-Recording)

今回初めてイントロで曲を当てられなかったのはこの曲だったと思う。本来イントロがない曲なので貴重なものが聞けたはずなのに衝撃で何も覚えていない。戸惑っているうちにあのカリッカリの刻みが聞こえてくる。

映像では落書きのような趣のぐちゃぐちゃの線が、ときどき文字になったり絵になったりしていた。

花火の映像がステージに投影されたと思えば、曲の後半でスクリーンを飛び出して花火の粒のようなライトが会場の前面全体に咲いた。そして「吹き飛んじまえ」で紙吹雪の投影に変わる。


「盗作」のライブなので当然だが、「爆弾魔」ではなく「爆弾魔(Re-Recording)」の音だった。判断要素はもっとあったのだろうけれど、私は二番のピアノの存在で確信した。遅い。


17.春泥棒

そろそろ春泥棒来ないかな、と思ったタイミングで来たので息が震えた。

桜だ、と思ってステージを見ていると、あるとき照明がステージを飛び出して一面が木陰になる。元々MV無しでも視覚に訴える曲だと思っていたが、こうして物理的に包み込まれると五感が春になる。


とにかく「さえ」の歌い方の良さを再確認した。「まばたーきさえおっくう」ではなく「まばたーきーさぇおっくう」なのだ。

この「さえ」の詰まり方こそが花びらの舞うような「億劫」に次ぐこの曲のサビのポイントだと思っているが、そこがさらに強調されている気がして強烈にライブ感を感じた(仕上がりすぎていてしょっちゅう忘れるのだ)。

最後の「春仕舞い」で全部の照明が落とされる演出のせいで数秒拍手ができなかった。春泥棒という曲の桜のような潔さの前では照明だってこうでなければいけない。


18.花に亡霊

曲数を数えていたわけでなくてもこれで最後だと分かった。ここに来てこの曲が出たらもう終わるしかない。信じられないまま聞いていたので記憶がない。

ところで、若くして亡くなってしまうことになる奥さんの「生まれ変わったら花になりたい」という発言は、このライブの朗読で初めて出たはずだ。小説では見た覚えがない。

今も見るんだよ 夏に咲いてる花に亡霊を」。

この部分は今まで雰囲気で聞いていたというか、この曲自体を「意味は込めずにただ美しい情景を描いた」というナブナさんの言を半ば真に受けて聞いていたがとんでもなかった。大嘘月。


19.前世

前世。「負け犬にアンコールはいらない」の冒頭に収録されているインスト曲のタイトル。最後の最後の畳みかけるような朗読パートだ。

主人公が、彼女の語る幽霊の話を聞きながら感じた不思議な感覚を想起して考える。幽霊は彼女を見て満足して消えていったという。ブックレットではもっと明確に書かれているが、彼女こそが幽霊の大切な人の生まれ変わりだったからだ。


ではもしその幽霊が生まれ変わって自分になって、彼女に会いに来たのだとしたら!


もしそうだとしたら、それはとても素敵なことで、もしそうだとしたら、魂は思い出の継ぎ接ぎの、盗作だ。そんなことを言って終わる。


レポはここまで。次に総括と、「正解の解釈」になりつつある考察への反論へ続く。

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