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ヨルシカオタクによるライブ「盗作」レポと、あの二人の生まれ変わり説への反論 3/3
【2024/09/26追記】
大変今更だが、今現在私は以下の内容のスタンスをとっていない。エイミーが音楽泥棒さん、エルマが奥さん+なんなら少年にまで生まれ変わっているのは、ライブ盗作以降の流れを見るともはや疑いようがない。ほんとすみませんでした。
ただし、それでも矛盾の説明はついていない。時間が逆行しているのではという説もあるがまだ確信には至らない。というわけで当時の思考の記録として残しておきます。
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ヨルシカのオタクがヨルシカのライブを鑑賞してレポを書いたので、最後にライブ後から「正解の解釈」となりつつある説に反論する。
当然、ライブと過去作品のネタバレを含むのでご注意願いたい。
実は一番読んでほしかったのは今回の記事だ。あの空間の素晴らしさについては言葉如きが語れるものかのスタンスだからレポは正直別にいい。でもこれだけは言いたい。
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小説「盗作」は、妻を失った音楽泥棒と、彼と出会った少年との物語だ。奥さんとの思い出は深掘りされない。
が、今回のライブでは少年は登場しない。音楽泥棒という行為についてもほとんど言及されず、幼少期の思い出だけが緻密に語られる。
さらに、「爆弾魔」の再録と小説内の節々でのモチーフの共通はあったものの、確証はなかった「負け犬にアンコールはいらない」ブックレットと完全に繋がった。
1年前に世に出たものとは別の物語が提示されたわけだ。ライブで。だけ。ちょっと物凄いことじゃないか。
ただひとつ、気になることがある。
この「幽霊」と「少女」は、ファンの間では一般にアルバム「だから僕は音楽を辞めた」と「エルマ」の主人公であるエイミーとエルマの未来だということになっているので「あの二人の生まれ変わりだったんだ」という感想が見られるが、これは整合しないのだ。
エイミーは「だから僕は音楽を辞めた」の初回限定盤に付属する手紙の中で、27クラブのことを書いている。偉大なミュージシャンは27で死ぬという都市伝説だが、実際に立て続けに亡くなったのは1969年から1971年の間らしい。
翻って、小説「盗作」の物語時点で、時はレコードとカセットテープの時代だ。小説内で泥棒さんは自分の作った音楽の発表形式について「レコード」と言っており、初回盤には少年が弾いたピアノを録音したカセットテープが付いてくる。20世紀終盤と考えるのが妥当だ。
そして泥棒さんは推定30代。20歳を過ぎて音楽を始めたのが奥さんと再会したタイミングで、そこから十数年(と表現するならおそらく12年以上だろう)経っていること、7歳年上の奥さんと結婚した時点で彼女が20代ということになっていることから、泥棒さんは20~22歳+12年以上。
とすれば、仮に泥棒さんの時代がレコードにしては遅めの1990年、年齢が最低の32歳だとしても、生まれ年は1958年。これより前にエイミーが死んでいるなら、27クラブのことを手紙に書けるはずはない。
さらに言えば幽霊氏は「もう随分昔のことだから、きっと(彼女は)死んでしまっているだろう」と語っている。エイミー死亡時点で20代程度と思われるエルマが「死んでしまっているだろう」時が流れているならそこからさらに数十年遡るはずで、そうなるともうエイミーの生前は気軽にスウェーデンに逃亡できるような時代ではない。整合しない。
こういった細部が、エルマとエイミーの夫婦転生説を否定しているのだ。
これが単なるミスならば、比較的現代的な印象のエイミーとエルマの物語の後の「盗作」で、小道具を使って過去の時代であることをこんなにも明確に主張してくる理由がない。
が、今回配布のブックレットにはない「負け犬~」ブックレット限定の文章内。おそらくは少女の側が何度も生まれ変わる過程の描写に、明らかにエイミーとエルマと思われる二人がいる。よく分からなくなってくる。
ただそもそもヨルシカの曲たちは、明確なストーリーが語られていない曲でもモチーフが共通していることがよくある。
ならば、それぞれの曲や物語ははっきりと一本の線で繋がっているのではなく、もっと面として、ヨルシカという世界の中で曖昧に繋がり合っていると考えてもいいのではないか。
「雲と幽霊」のMVにははっきりとエイミーが過ごした街が映るし、最後に百日紅の咲くバス停に辿り着くけれど、これが二つの物語両方とぼんやり繋がっているということにしておいてもいいのではないか。
なんでこんなに必死になるかというと、自分の音楽を貫きたくて死んだエイミーが自覚的な音楽泥棒に生まれ変わって破滅して、エルマのときは残される側だった彼女が早死にするというのは、ちょっと救いがなさすぎて耐えられないという、根底はそれだけなのだけど。
いやどうだろう、自分のしていることはただの模倣だと苦しんで死んだエイミーが生まれ変わって魂までもが盗作に過ぎないのだという結論に辿り着けたのなら、それはそれで救いなんだろうか。
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ともかくとんでもないものを見た。そのわりにというかそのせいでというか、ところどころ無我の境地に至って目の前のことが現象にしか見えなくなったりしていたので、レポのほうは何かと曖昧で申し訳ない。
一番好きなアルバムは「だから僕は音楽を辞めた」で、そのわりにライブ「月光」のチケット争奪戦には全敗してしまったのだが、「月光」もこんな進行だったんだろうか。もしそうなら行けなかったことがあまりにも悔やまれるし、行けなかったからこそなんとか今生きられているのかな、という気もする。
ライトが点いて、退場のアナウンスが聞こえて、インスト「前世」が流れた。
人生を2回くらい済ませたような抱えきれない気持ちのまま、ふらふらと会場を出た。