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8歳の私の日記(閲覧注意)
日記を見つけた
実家の掃除をしていたら,日記帳を見つけました.
西暦と日付が書いてあって,小学2年生・8歳の私が書いた日記だとわかりました.
表紙はキラキラだったりプクプクしてるシールでデコってあって(時代がばれる笑)、
名前は漢字で書いてあって「日っきちょう」とキラキラなペンで書かれていました.
この日記帳を書いてた記憶がないので、「シール帳とかメモ帳とか好きだったなー」と微笑ましく思いながらその日記帳を開きました.
最初の数日は、お水をあげてるヒヤシンスが綺麗だとか、朝ご飯が美味しく作れたとか、弟がいないいないばあでたくさん笑ってくれたとか、
そんな普通の日常がキラキラなペンで書かれていました.
(でもヤングケアラーだったのはすっごいよくわかる日記だった笑)
けど読み進めていくと、読んだだけで過呼吸発作が起こってしまったくらい
衝撃的で残酷な内容が待っていました.
この日記帳を見つけたのはもう何年も前の話で、この話を人にできるようになるまで数年かかりました.
8歳の時の家庭環境
弟たちは2歳と3歳、私がちょうどかなり苦しいヤングケアラーだった時代です.
弟たちが生まれてから小学校に上がるまで(児童養護施設に入るまで)ヤングケアラーとして家事育児をしていましたが、この頃が一番大変だったのは覚えています.
弟たちのイヤイヤ期、よく食べる、よく走る、イタズラする.弟たちが家庭の状況をまだあまり理解していない年齢で、すごく大変だったのを覚えています.
2人とも保育園に入っていたので、
家族分のお弁当と朝ごはんを作って2人を保育園まで連れて行き(すぐ近くだけど)、その後私も行ける日は学校に行って無理な日は家事をして、
買い物に行って弟たちのお迎えに行って.夕飯を作って2人をお風呂に入れて(親に入ってもいいよって言われる日だけ)
そんな日々を過ごしていました.
両親の暴言暴力も絶えず、弟たちに刃が向かないように必死に私が受けていたのをよく覚えています.
8歳の時点で一時保護は2回経験済みくらいです.
家に返されてしまうのは本当に辛かった.
日記の内容(閲覧注意)
最初はキラキラペンで日常が書かれていたのに、だんだんと暗くなっていきました.
「パパがお酒を飲みすぎてママがかわいそうだった」(DVがありました)
「ママが機嫌悪くてお皿を投げた、早く掃除しろって怒られて怖かった」
「ママに掃除機でいっぱい叩かれた、掃除機が壊れてもっと怒られて辛かった」
「〇〇(飼っていた犬)をボコボコにしてて可哀想だった」
そんな内容がずっと続いて最後.
「ママ、パパ、生まれてきてごめんなさい」
「ダメな子が生まれてきてごめんなさい」
「生きててごめんなさい」「消えれなくてごめんなさい」
「しにたい」
そうやって黒いマジックペンで何度も殴り書きされて、その日記帳は終わりました.
苦しい,悲しいって感情がものすごく....伝わってくるページでした.
日記帳の記憶がない
煌びやかな表紙から、まさかこんな内容の日記だと思わなくて.
記憶にもないし、でも書いてる日々のことはなんとなくイメージできて.
当時の記憶は断片的なことや印象に強い出来事はよく覚えてるけど,
日常の出来事やその時の私の感情までは覚えてないから
日記を見たことで「まだ8歳の私がこんなに苦しんでいたのか,死にたかったのか」
と知ることになって,
開けたくなかった記憶の蓋を開けて,いらなかった苦しみに襲われました.
子どもだった私を助けに行きたい.
でもそれはできないから,
今この瞬間もどこかで苦しんでる子どもを一刻も早く救いたい,そのためにどうしたらいいか,日々子育て支援をしながら葛藤しています.