苗字のない世界
『苗字のない世界に生まれたかった。』
この頃よくそんなことを考える。
苗字ってなんのためにあるのだろうか。
もちろん家族という共同体を表する上で必要ということも理解している。しかし自分には目の上のたんこぶでしかない。
小学校2年生の頃、両親が離婚した。(知ってる人は少ないと思うが苦笑)
家庭はさほど荒れたわけではなくDVなどもない。所謂『円満離婚』というやつなのだが、ともかく両親が別居することになった。
その時、自分はある選択を迫られた。
『苗字をなんと名乗るのか』
当時8歳という年齢の自分にはそんなこと深く考える余地などなかった。小学校の中途半端な学年でもあったし、周りの人に気を遣われたくないし、友達に離婚したのを知られるのも嫌だったからそれまでの父型の姓を名乗ることになった。
引き取られたのは母だが名乗るのは父型の姓。
最近、ひとり親家庭の貧困率が50%を超えて問題になっているが、自分の父は私を愛し月一回程度一緒に遊ぶ機会も設けてくれた。養育費もかなりの額払ってくれたであろう。だからこそ今自分が何不自由なく暮らしている。
その感謝の気持ちとして父型の姓を名乗る。自分にはそういいきかせてはみるが、どうしてもある問題が残る。
『母はどう思っているのだろうか。』
8歳の頃、両親が離婚し自分が父の姓を名乗ると決めた日、母親も同じく父の姓を名乗ると決めた。
親子の苗字が異なると法的な手続きも面倒になるし、仕事の都合上もそっちの方が良かったのかもしれない。では母の両親(母型の祖父母)はどう思っているのだろうか。ジメジメしたモヤモヤが私の頭上に永遠と漂う。
母にも父にも感謝している。しかし苗字という邪魔ものが私に2択を迫るせいで、母か父どちらかを選んでる気がしてならないのだ、。