青い糸
「人生にはいろいろある。でもなんとかなるし、生きていたら、いつか許すこともできる」
「それでも、その生活のあり方の延長線上に、私たちが周りの人にどんなに心を砕いてもどうにもならない地平が、政治によって権力によって現れてしまうのだ、ということを書きたいと思いました」
Yahoo!ニュース本屋大賞2021ノンフィクション本大賞の受賞作、
『海をあげる』の著者・上間陽子さんによる記念スピーチからの抜粋です。
昨日、この本の担当者である筑摩書房の編集者がTwitterにページのリンクを投稿されていました。
「何度でも読んでほしいです。」という一言と共に。
本文の試し読みと言葉全文が読めるページを改めて読み直しました。
今年手にした本(遅いなあ恥ずかしいなあもう)の中でも特に感じ入るところの多い一冊だったのです。
全部抜粋・引用をしたいくらいなのだけれど、それもどやねん、と、少しだけ引用したくなりました。
ページはこちら。
わたしが読んだ際のものはこちら。
いつもながら関係ないことも併せて書いています。
いろんなことを考えました。考えます。
いろんなひとに会ったり出会ったりしてきて、
現在進行形でいろんな気持ちや想いや主張にも触れながら、
「うん、そうだよなあ」とか「それはちょっとどうかなあ」とか
「その考え方はちょっとこわいんじゃないかなあ」とか
「でもこのひとがそう思う・言うということは、なんでかな、どうしてかな」を想像してみたりしながら、してみて、
「じゃあそのひとにどう言ったら接したらいいかな」とか
「伝わるかな」「伝わらないのかもな、でもじゃあ?」って、
時に(いつも?)空回ったりもしながらも考えたりします。
そうして「皆」「皆で生きる」には? ということを。
「皆」「皆で生きる」
この言い方をわたしはよく使うのですが、実にまあ、もどかしい。
自分でも、ああ、あまりにおおきすぎるあまりに漠然としすぎた言葉だなあ、と、いつもやきもきもしています。
誤解を招いているやろなあ、うまく伝わってないやろうなあ。
でも、使いたくて? 使っています。
そもそも意味や属性のようなものが限定されて捉えられがちな例えばカタカナ語や漢字を使うことはあまり好きじゃないなあ、なのです。
(逆にあいまいな日本語一言よりも「広い意味」に感じられそうな誰もが知るような英語などは使うこともあります、しますが)
限定されたような、
その言葉の文字面だけで狭いイメージを与えかねないような言葉は、
むずかしいというか、こわいというか、
やはり「好きではないなあ」で、
だからなるだけわかりやすい言葉で、を心掛けているのですが、
これがまた、これをすると伝わりにくいだろうことも少なくない気もする。
スルー(無視)とかされるような、見くだされたりとかも? やはり伝わらないかなぁ、よなぁ、で、
勿論それはこちらの色々不足もある、日々もどかしい。
「皆で手を繋いでいつもずっと仲良くする同じ方向をみて同じ場所で」
そんな意味(だけ)ではない、ないねん。
そうじゃないし、それだけではないし、そういうことじゃなくて。「でも」。
と、書いてみてやっぱり、カタカナのはっきりした良さとでもこわさをも思わされます。
「皆で生きる」はきっと無理に限りなく近い、もしかしたらたぶん無理なのです、でしょう。
でも。だからこそ。それでもでも。
怒りとやさしさ。
苦しさからの方向性としての歪みやまっすぐ。
やさしさと人の目。
人の目とナカミ(人間の心の中)。
決めつけ、思い込み、やりすごし、よわさ。
つまりそれはそれが人間かもだから、
でもそれが人間だとしても、でも。
上間さんは受賞1年後のインタビューで最後におっしゃっていました。
「今は沖縄だけでなく国全体が疲弊して、みんな自分のことで精一杯です。
でも本を読むことで他者の当事者性を持って生きると、粘り強くなれるし、
自分の問題が自分だけの問題じゃないと思えることもある。
読書がそういう体験になるといいな、と思います」
読書や、
舞台をはじめとするさまざまな表現に触れること、
さまざまなひとの発する話し言葉やつぶやきや書いたものに触れること、
いろんないろんなすぎるひとが居る劇場の中のひとりとして楽しむこと感じること、
誰の何がとか、どれがとか、誰かのものだけがとても、とかじゃなく、
好きとか嫌いとかだけじゃなく、それも越して、
さまざまなそれらに触れることやその場のひとりになることは、
わたしにとって、そのような体験でもあるな、と、とも、
とても思わされる近年です。
楽しいとか、うれしいとか、愛しいと共に。
うん、愛しいとか愛しさに触れることで。
タイトルの青い糸は、
先程のページにもありますが、
本作の「新しい読者へつなげる 『海をあげる』プロジェクト」からです。
「私は、やはり私たちの社会は善意に満ちているのだと思います」
◆◆◆
以下は、すこしだけ自己紹介 。
よろしければお付き合い下さい。
構成作家/ライター/コラム・エッセイスト
中村桃子(桃花舞台)と申します。
大衆芸能、
旅芝居(大衆演劇)や、
今はストリップ🦋♥とストリップ劇場に魅了される物書きです。
普段はラジオ番組構成や資料やCM書き、
各種文章やキャッチコピーなど、やっています。
劇場が好き。人間に興味が尽きません。
舞台鑑賞(歌舞伎、ミュージカル、新感線、小劇場、演芸、プロレス)と、
学生時代の劇団活動(作・演出/制作/役者)、
本を読むことと書くことで生きてきました。
某劇団の音楽監督、
亡き関西の喜劇作家、
大阪を愛するエッセイストに師事し、
大阪の制作会社兼広告代理店勤務を経て、フリー。
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lifeworkたる原稿企画(書籍化)2本を進め中。
その顔見世と筋トレを兼ねての1日1色々note「桃花舞台」を更新中です。
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5月1日から東京・湯島の本屋「出発点」で2箱古本屋、やってます。
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旅と思索社様のWebマガジン「tabistory」では2種類の連載中。
酒場話「心はだか、ぴったんこ」(現在19話🆕!!)と
大事な場所の話「Home」(現在、番外編を入れて4話)です。
旅芝居・大衆演劇関係でも、各種ライティング業をずっとやってきました。
文、キャッチコピー、映像などの企画・構成、各種文、台本、
役者絡みの代筆から、DVDパッケージのキャッチコピーや文。
担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、
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