ここのところの政治の話題から得た教訓
兵庫県知事選で、斉藤知事が再選されました。
また、衆院選、アメリカ大統領選…政治の世界では、オールドメディアが敗北し、インターネットやSNSの勝利だ、それが世論を反映しているのだ!とか言われています。
まあ、政治の世界やインターネットの影響力については、自分自身持っている情報は野次馬程度のもので少なすぎるので、これについて特に申し上げるものはないのですが、この一連の騒動を見て、自分の半径5メートル内の学びを深かったのでシェアしたいと思います。
自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じて、自分の頭で考えたことは価値が高い
やはり、ひとつの情報のすべてを鵜呑みにすることは危険だということです。
インターネットとテレビや新聞という新旧のメディアの対立構造のように描かれていますが、コロナ禍での真偽不明な情報がネットで溢れかえってしまったことを考えると、新旧関わらずすべてのメディアから発せられるすべての情報には、発信元のポジショントークや意図が含まれています。
いや、私たちが会話をする身近な誰かの話にも、対面する誰かの意図という色眼鏡がかかった話であることは、常に意識しておかなければならないと思います。
それは自分も然りです。自分にも、経験から得た色眼鏡があって、それを通して世界を見ているということは、自覚的でなければなりません。純粋無垢で世界を見れている人など、この世にはいないのでしょう。
だからこそ、情報を取捨選択したり、取り入れるという判断は、自分がしなければなりません。
やはり自分が耳で聞いて、目で見て、肌で感じた一次情報をもとに自分が思考して考えた結果が一番、自分にとって信頼性が高いのです。
現在は、媒体が溢れているので、現地現物現場を見ずとも「知った気」になれます。
だからこそ、自分の経験に基づいた思考の結果や答えが少ないので、一番価値が高くなっているのです。
真っ白な人もいなければ、真っ黒な人もいない。そして、自分も間違っているかもしれない。
文字通り、すべてにおいて清廉潔白な人もいなければ、すべてにおいて佞悪醜穢(ねいあくしゅうあい)な人も、またいないのです。
どんな人も不完全なので、黒い部分はあります。ただ、黒い部分しかない、という人もいないのだろうと思います。
自分の視点から納得できない人がいると、あたかもその人がすべてにおいて悪人であるかのように錯覚することがあります。
その人はその人の正義で動いているところがあり、自分の正義と相いれないからこそ、黒く見えているわけで、向こう側から見てもおそらくこちら側は黒くなっているでしょう。
結局のところ、白か黒かは見る角度によるところもあるし、見る部分によっても変わってくるのです。
そういう、白と黒がマーブル模様のように入り乱れて、グラデーションがあり、0か1かで判断することは難しいことを認識していれば、「すべてにおいて自分が正しい」というとんでもない勘違いをすることもないと思います。
あなたはあなたの主義主張があり、こちらにはこちらの主義主張がある。それを踏まえておくという謙遜な姿勢こそ、すべての人の自由を守り、豊かに暮らすために必要なことではないかと思います。
政治には疎かった筆者ですが、ここのところの民意がインターネットに流れ出ているのを感じます。
これをあまり良くないことのように仰る方もいますが、自分は良いのではないかと思います。
なぜなら、インターネットは、色眼鏡がかけられているものも、かけられていないものも、フラットに陳列されているからです。
まあ、だからこそ高い情報リテラシーが問われます。色眼鏡もだいぶ濃い(というか、ほぼ見えない。間違っているような情報)ものをかけられてしまっているものもありますからね。
自分は、謙遜さを忘れることなく様々な人の意見をフラットに聞いて、粛々と自らの経験を増やして、自分の価値を上げていきたいと思います。