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【歩き遍路は修行?】


2021年、コロナ禍の旅、四国歩き遍路。
5月と7月の2回、徳島の23札所を巡り、
11月の三度目の旅でいよいよ高知入り。

四国歩き遍路3回目。
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お遍路は修行の旅。
と言うには何の覚悟もなくひょこひょこやってきた。
やめるタイミングはすでに逃したようだ。

ひたすら、歩く。
一歩、一歩、土を踏み草を跨ぎ水溜りを避け、アスファルトを蹴り、石段を登る。
杖をつき、足の豆を庇って坂道を下る。

春の風は額の汗に優しい。
雨が降ればそれも爽快。
山道は息を切らせて黙々と。
日に焼かれればふらふらと妙な眠気。(熱中症寸前)
台風のごとき大雨と強い潮風もある。

そうして歩くと、あー、こういうことが、もしや修行ではないか?と感じる瞬間がある。


*受け入れること。
雨も、風も、日差しも、自然のまま。
外の世界は変えられないが、私の気持ち次第。雨は爽快に、風は面白く、日差しの強さに敬意を払う。

*美味しく食べること。
遍路旅では美味しいものを探す必要がない。
ひたすら歩いて、疲れて、真っ白いおにぎりを頬張る美味しさは格別。
安いロールパンも、バナナも、お茶も、それはそれは美味しい。
まして地元のとれたての鰹の美味しさ。
どこで食べても、何を食べても、それが美味しく身体をめぐってエネルギーに変わる実感が持てる。

*ありがたいこと。
宿について用意されている風呂の気持ちよさ。汗になった下着を洗濯出来る嬉しさ。整えられた食卓。綺麗な寝具に身を横たえる幸せ。
あー、ありがたい、と心から感じてしまう。

*お接待
呼び止められて、小さな飴玉をいただく。
少し待って。と飲み物を持たせていただく。
昼食の店で菓子袋をお土産にもらう。
飲み物でも買いなさい、と小銭をいただく。
金品だけではない。
「二人で健康で歩けるのは幸せなことや」「わこうて元気やから歩けるのやな」「寺には今ヤッコ草が咲いとる、みてきんさい」
疲れて空っぽになっている身体には言葉が沁み入る。
ありがたく頂戴する。
皆さんの分までお参りしてきますね。と心から言える。

これこそがもしや、修行をしているのではあるまいか?

私の父は弘雄で、名前を聞かれると「ヒロは弘法大師の弘」と答えていたな。
菩提寺も弘法大師の真言宗智山派。
父の戒名にももちろん弘の字が使われている。

母方は天台宗。祖母の兄は比叡山で修行を積み茨城の寺で檀家を持つ歴とした僧侶であったし、もう一人別の寺でも親類が僧侶。

だからと言って、仏教を何も知らない。
信心もせずふらふらと過ごしてきた。
それでも、風に吹かれるように60を過ぎ、道を歩くと、なるほどなあと思ったり、する。

現実の世界は日々些事にまぎれ適当に流し過ぎてゆくので、修行は日常に生かされないが…歳を重ねるのもなかなかに面白い。

2021年11月27日

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